スタンレー・イエルナッツ(Stanley Yelnats)は、プレミアムつきの運動靴を盗んだという無実の罪で、テキサスにある非行少年収容所、キャンプ・グリーンレイクに送られる。無実ではあるが、彼も家族も頭のどこかで「仕方がない」と思っている。実はスタンレーの一族には「呪い」がかかっているという言い伝えがあった。高祖父が、ある約束を違えたために、子々孫々に至るまで不運に見舞われる羽目になったというのだ。
さて、グリーンレイクとは名ばかりのこの荒涼たる収容所で、少年たちは、来る日も来る日も直径5フィート深さ5フィートの穴を掘らされる。所長は、それが彼らの性根をたたきなおすというのだが、どうもそれだけではないらしい。ある日スタンレーが穴の中から奇妙な金色の筒を見つけ、所長に報告したところ、所長は目の色を変えてそのあたりの地面を集中的に掘らせた。何かを探しているのだろうか?
スタンレーと収容所の少年「ゼロ」(Zero)との友情と因縁、スタンレーの一族にまつわる不思議な運命、そしてキャンプ・グリーンレイクそのものにまつわる110年前の伝説。3つの大きな流れが時代を超えてからみ合い、やがてパズルのようにおさまるべきところにおさまってゆく。技巧のかぎりを尽くした「運命小説」である。
「巧まざる」という言葉があるが、この小説はまったく逆で、「巧みに巧んだ」という感じ。なにしろ、Stanley Yelnats という名前だって、実は「回文」(前から読んでも後ろから読んでも同じ)になっていて、それがまたこの物語の構造を象徴してもいるのだから。先祖の物語が繰り返され、土地の因縁が繰り返され……。だから初めからそれを楽しむつもりで読むといいのかもしれない。
物語の初めには、ただやみくもに運命を受け入れる気弱な少年だったスタンレーも、物語が終わるころには、みずからの手で運命を切り開くたくましい少年に成長していく。ただ、このあたりの心の動きは、あまりリアルにみっちりと描かれてはいない。人物描写、感情の描写は、むしろ希薄と言えるほど淡々としている。でも、考えてみるとそれもきっとわざとなのだろう。この物語全体が、いわゆる「おはなし」として書かれているからだ。昔話では人物や心の動きはむしろ類型的に描かれるもの。そういう意味で、インターネット書店アマゾンに感想を寄せている読者の多くが、この小説を"tall tale"(ほら話)と呼んでいるのが印象的だった。テキサスという土地柄や、途中に挿入される女盗賊の物語などがあいまって、アメリカの人たちには無理なく「ほら話」として受け止められるのかもしれない。そのあたりに人気の秘密がありそうな気もする。この作品は、1998年度全米図書賞も受賞している。(内藤文子)
【やまねこの会議室から 〜感想 by ワラビ】
「無実の罪で、テキサスにある非行少年収容所、キャンプ・グリーンレイクに送られる」というところから、『オーブンの中のオウム』か、メルヴィン・バージェスかという感じですが、子どもたちの生活を生々しく描いた作品ではなく、かといってファンタジーとも違う。生活感がなく、しいていえば昔話を読んでいるような感じでした。また、距離感からいうと舞台を見ているような感覚もおぼえました。(舞台にしても、きっとおもしろいと思う)
本当に「巧みに巧んだ」話でした。全体に作者の神経が行き届いていて、凝った構成になっています。主人公の少年スタンレーが穴を掘る今の時代の話も、スタンレーの何代か前の時代の話も、登場人物が実に有効に使われています。 また、力みが作品に出ておらず、なにげなく読ませてしまうところに作者の力を感じました。読みながら、「あらへんあらへん、そんなこと」と突っ込んだり、「ほお」「へえ」とつぶやいたり。そして、だんだんと、自分が作者のワナにはまっていること、そのワナがとても tall であることに、気づいていくという感じでした。
とは言え、距離をおきながらも、スタンレーやその友人の心理をきっちり描き出したり、現代の家庭の問題や親子関係も考えさせたりするあたりは、ただの昔話や tall storyとも違います。そして、この作品のそんなところが、大勢の人たちに認められた部分かなと思いました。
1999年2月作成
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