やまねこ翻訳クラブ 資料室
中川千尋さんインタビュー
(翻訳家、絵本作家)
『月刊児童文学翻訳』99年4月号より
Q☆最初のお仕事であるテアトル・エコーでのコメディの翻訳や、映画・TVの吹き替え台本の翻訳を始められたきっかけを教えてください。
A★学生時代、友人のつてで紹介されました。きっかけは、初来日したマザーテレサの身の回りのお世話係のアルバイトをしていたことです。……のっけからビッグでしょう。
まだあるんです。最初に手がけた戯曲は、上演交渉するか否かの資料としてではありますが、なんとピーター・シェーファーの『アマデウス』でした。もちろん映画にも芝居にもなる以前の。「な、なんなの、この冒涜的なモーツァルト像は?!」と、背景の知識もなく、ひたすら混乱してキマジメに訳しました。一万円の約束でしたが、あんまり可哀想だというので、たしか二万円いただきました。……このへんから以後、てんでビッグじゃなくなっていきます。
結局、上演権は松竹にいってしまい、前からこの作品を暖めていらした江守徹さんの翻訳が出版されたとき、エコーのプロデューサー氏が本をプレゼントしてくれたのですが、江守さんの訳を読んで、目からうろこが落ちました。のちに、あれはあくまで俳優の翻訳だという声も耳にしましたが、当時のわたしには、こういうことが許されるならばやってみたいという意欲をかきたてるものでした。
Q☆福武書店(現ベネッセ)でリーダーを始められたころのこと、最初の訳書である『ふしぎをのせたアリエル号』との出会いなどについてお聞かせください。
A★そもそもは、荻原規子さんの『空色勾玉』です。あれをアメリカ人の友人と組んで英訳したいという大それた望みにとりつかれて福武に電話をしました。わたしは日頃電話恐怖症なので、なぜそんな大胆なことができたのか、いまもって謎です。残念ながら(幸い?)「勾玉」の英訳はすでに他の方に任されていたのですが、その電話で編集の方と子どもの本をめぐって長々と話しこみ、つづきはお会いしてということで会社に伺い、ますます意気投合しました。当時の福武から出るものはことごとく面白く、それを作っている人たちの輪に加われるのはとてもうれしかったです。
そのころ編集部の机には翻訳者をさがしている『アリエル号』の原書がのっていたそうです。もしかすると、あの本が呼んでくれたのかもしれませんね。
『アリエル号』については、あとがきにも書いたとおり、帰りの電車で夢中になってしまい、なにがなんでも私が訳すのよと、かってに決意しました。かわいいのに、どこかしら苦みと真実がある大長編ファンタジーです。650ページの本になりましたが、長さを感じませんでした。むしろ終わるのが悲しいような。校正では、編集者と徹夜で読みあわせをして、声が枯れました。
Q☆バーリー・ドハティの作品を3冊訳していらっしゃいますが、ドハティさんご本人とお会いになられたときのエピソードや、読者からの反響をお聞かせください。
A★『シェフィールドを発つ日』を訳して以来、著者ドハティさんとは、たまに手紙のやりとりがありました。92年にイギリスに遊びにいったとき、旅の途中でカーネギー賞の発表があり、彼女の二度目の受賞を知ったのです。二度ももらう人は稀です。お祝いの電話を入れ、予定を変更して会いにいきました。ドハティさんはテレビや新聞の取材で忙しかったはずなのに、雨の日の午後、静かで穏やかな時間を過ごさせてくれました。
そのときわたしは受賞作についてほとんどなにも知りませんでしたが、「テーマは十代の妊娠」ときき、ついで「タイトルはDEAR NOBODY」ときいたとき、胸の奥でなにかがコトンと音をたてたのをよく覚えています。
「あなたにあげたいのに一冊も残っていない!」とあわてるドハティさんといっしょに雨のシェフィールドの書店めぐりにでかけ、帰りの電車と飛行機で読み、これまた、絶対訳すぞ、と決意したわけです。
『ディアノーバディ』は、名古屋の劇団うりんこが舞台にしてくれました。高校生が上演の手伝いをしたりして、なかなかいい舞台です。作者から預かったものを、つぎに手渡せたことを、しかと目で確認できた幸せな一例です。(ホンヤクって孤独ですもんね)
Q☆絵本も数多く翻訳なさっていますが、特にお好きな作家はいますか? 翻訳の際に特に気をつかわれるのは、どんな点でしょうか。
A★うーん、大勢います。絵の美しいのが好きです。センダック、バーバラ・クーニー、シュレーダー、ル・カイン、ターシャ・チューダー……。H.A.レイや、リリアン・ホーバー、フランソワーズ、といった可愛いのも……。アーサー・ラッカムやカイ・ニールセン、という古いあたりも……。もちろんスロボドキンも、アーディゾーニも。日本人では……おっと、翻訳の話でした。
えー、絵本は、やはり絵が主役です。こどもは絵を読むし。だから言葉の調子をふくめて、絵の邪魔をしないように気をつけます。文章が短ければ簡単というのでは、まったくありません。短いものほどリズムやトーンがきまるまで四苦八苦します。一般に、文の短い幼い子の絵本ほど、気に入ってもらえれば百回でも繰り返し読んでもらえるはずです。その子の血肉となるまで。それに耐える文章をめざしたいと思います。
書店で「字の少ないのはここで読んじゃって、もっと字が多いのを買っていきましょうね」なんて話してる親子と遭遇したときは、……かなしかった。
Q☆中川さんの翻訳は、流れるようなリズムとせりふの自然さに定評がありますが、やはり「話し言葉」の世界に関わっていらしたことは大きな財産でしょうか?
A★ありがとうございます。演劇や吹き替えから学んだことは多いと思います。字幕翻訳に誘われたこともありますが断りました。わたしには話し言葉から得る物のほうが大切だったからです。
芝居の稽古や、吹き替えの現場にたちあうと、じぶんが書いた言葉が役者さんの声にのるたびに、気が遠くなるくらいたくさんの発見があります。
また逆に、本の翻訳をしながら、特定の役者の声がきこえてくることもあります。勝手にキャスティングをしちゃうわけです。
演劇も映画も好きですが、勉強熱心ではありません。見たい見たいと思って見逃すことのほうが多いです。先日やっと、封切りのときから気になっていた「フル・モンティ」をビデオで(字幕で)見ました。なつかしのシェフィールドが舞台です。
Q☆『アリエル号』では挿し絵も描かれていますね。翻訳と挿し絵には、共通点がありそうですが、いかがでしょうか。また創作絵本のこともお聞かせください。
A★さすが! 鋭いご指摘です。
わたしは挿し絵が大好きです。こどものころ、挿し絵で本を選別していた方は多いはず。大きくなって読み直すと、あったはずの挿し絵が見あたらず驚くことがあります。頭のなかで挿し絵の人物や景色をうごかして本の世界を把握していたようです。
翻訳と挿絵の共通点は……、うーん、どちらも本のいちばんの読者になろうとつとめて、ようやくできる仕事ということでしょうか。細部まで何回も読みこむだろうし。成功すれば、原作の世界をよりゆたかに広げることができるし。
挿し絵は、もっともっと重要視され、評価されるべきだと力説したいです。
あれ、話がずれました。創作絵本、ですね。
絵本を作ることは口にするのも恐ろしい秘めた野望だったのですが、編集者に見破られ、そそのかされ、おだてられ、つい木にのぼってしまいました。
ただ、翻訳、挿し絵、創作絵本といろいろな角度から関わりながらも、「こんな本、どう? わたしはいいと思うんだけど」と、どきどきしながら手わたすような気持ちは、いつも同じです。
Q☆最後に、今取りかかっていらっしゃるお仕事についてお聞かせください。それから、私は中川さんのあとがきのファンでもあるのですが、今後エッセイなどを書いてみたいというお気持ちはありますか?
A★絵本の翻訳で、エロール・ル・カインの「シンデレラ」(ほるぷ出版)が五月に出ます。ルーマー・ゴッデンの再話による「お酢のびんにすんでいたおばあさん(仮題)」( 徳間書店)も翻訳中ですが、絵もわたしが描くことになっているので、ちょっと遅れるかも。むしろその前に、べつのお姫さま物語がやはり徳間からでるかもしれません。
長編の翻訳予定は、いまのところありません。やらせてと頼んでるものはあるんだけど、もろもろの事情でペンディングです。
創作絵本は、五月か六月に偕成社から「ことりだいすき」というのが出ます。ほかに徳間から「きょうりゅうのたまご(仮題)」を出すはずです。これはもう恥ずかしいくらい大昔からやっているのに絵が思うようにならず押入から出したりしまったりしてた代物です。あまりの怠慢を編集者に叱られながら、いま苦戦しています。
また理論社からカッパのお話絵本を一冊。鳥、恐竜、カッパ……今年はこんな傾向です。
え、……あとがきのファン!? んまあ、うれしいことを!
基本的におしゃべりなので、エッセイは昔から気になるジャンルではあります。でも、本にして買っていただけるようなものが書けるかどうかは別問題。まずは、地道に長くご愛顧いただけることを目標に、最近事業拡張したばかりの創作絵本部門を充実させていく所存です。
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【中川千尋(なかがわちひろ)さん】 1958年生まれ。東京芸術大学美術学部芸術学科卒業。翻訳書にドハティ『ディア ノーバディ』(新潮社)、サーバー&スロボドキン『たくさんのお月さま』(徳間書店)など多数。ケネディ『ふしぎをのせたアリエル号』(ベネッセ)では翻訳と挿し絵を手がける。また『のはらひめ』(徳間書店)、『ぼくにはしっぽがあったらしい』(理論社)などの創作作品もあり、活動は多彩。 |
※本の表紙は、出版社の許可を得て使用しています。 ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ copyright © 1999, 2002 yamaneko honyaku club |