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中辻悦子さんインタビュー


『月刊児童文学翻訳』2001年2月号より

 中辻悦子さんインタビュー ノーカット版

【中辻悦子(なかつじ えつこ)さん】

 1937年大阪府生まれ。兵庫県在住。オブジェ、タブロー、版画など多彩な分野で活躍する造形作家。98年現代版画コンクール展で大賞。絵本の作品は、『これめ』『いろいろしかく』『まるまる』など。98年刊の『よるのようちえん』(福音館書店)でブラティスラヴァ国際絵本原画展のグランプリを受賞(47か国296人参加)。日本人の同賞受賞は、第1回(67年)の瀬川康夫氏以来の快挙。2000年、ボローニャ・ブックフェアに出展。ご夫君は画家の元永定正氏。中辻氏は元永氏の絵本のグラフィック・デザインも手がけている(『もこもこもこ』/文研出版、『もけらもけら』/福音館書店など)。

 今月は、99年の第17回ブラティスラヴァ国際絵本原画展(スロヴァキア)でグランプリを受賞された、造形作家、中辻悦子さんのお宅にうかがいました。ご夫君の画家、元永定正さんも同席され、おふたりの作品でいっぱいの室内でお話を聞きました。お忙しい中、終始にこやかに語ってくださった中辻さん、しゃれを交えながら楽しい話をしてくださった元永さんに、心よりお礼申し上げます。

中辻さんと元永さん
中辻さん(左)と元永さん(右)

トロフィーと「よるのようちえん」
ブラティスラヴァのトロフィー(左)と、
受賞作の「よるのようちえん」(右)


Q:インタビュアー A:中辻さん M:元永さん ( ):編集部注

Q★ブラティスラヴァ国際絵本原画展グランプリ受賞、おめでとうございます。受賞作『よるのようちえん』の制作過程についてお聞かせください。

A☆『よるのようちえん』は、わたしの5冊目の絵本です。それまでの絵本は幼児対象の月刊誌(『こどものとも』など)の形でしたが、『よるのようちえん』は単行本として出すことになりました。それで、子どもも大人も両方視野に入れた絵本を作ろうと思ったのです。構想に3年かかりました。先に写真と絵のコラージュができましたが、文章は難しくてなかなか進みませんでした。編集者と相談して、谷川俊太郎さんに文章をお願いすることになりました。谷川さんは、ラフをご覧になってすぐに引き受けてくださいました。文章はたった1日か2日で書かれたそうです。キャラクターに「そっとさん」や「じっとさん」という名前がつき、文章もついて、キャラクターの性格がもっとはっきりしました。その時点で、顔や形を描き変えたものもあります。谷川さんの文章でキャラクターに命が生まれたのです。

M☆谷川さんは、この人(中辻さん)の絵本のラフや展覧会を見て、そのイメージから文章を作った。それを受けて、この人の方も絵を変えた。ええ意味でのキャッチボールやったんやね。


Q★谷川俊太郎さんとは、すでにお知り合いだったのでしょうか。

A☆66年に夫が米国のジャパン・ソサエティーの招聘で1年間ニューヨークにいたとき、同じマンションの下の階に谷川さんご夫妻がいらしたんです。わたしも同行していましたので、何かとご一緒することが多く、楽しく過ごさせていただきました。その頃からの知り合いなので、気心も知れていたし、わたしの絵の雰囲気もよくご存じだったのです。


Q★絵本の舞台を幼稚園にされたいきさつをお聞かせください。

A☆わたしの作品はこれまで、現実と非現実の間にいるような、別の世界にいるようなキャラクター(目と足だけのひとがた)を表現してきました。絵本にもこのキャラクターを登場させようと思い、まず舞台を「よるのキッチン」として、写真と絵のコラージュを作りました。自分ではこちらの方が好きだったのですが、子どもの絵本としては何となく大人っぽくなって……。そこで、もっと子どもに直接つながる場所として「幼稚園」を選びました。それも、昼の幼稚園とは違う雰囲気を持つ、夜の幼稚園にしたのです。


Q★ブラティスラヴァ世界絵本原画展(BIB)に出品された経緯や、グランプリを受賞された時の感想をお願いします。

A☆まず日本国内の選考委員会で、出品作品として選ばれたようです。わたしはそれまで、 BIBのことは何も知りませんでした。選定後に打診があり、自分で10点の原画を選んで出品しました。で、そのまま忘れていたんですね。そこへいきなり「グランプリだ」と留守電が。ブラティスラヴァに審査員として行かれていた、ちひろ美術館館長の松本猛さんからでした。わたしは何だか人ごとみたいで……。留守電の明くる日が授賞式でしたが、当然間に合わないので、メッセージを送って松本さんに代わりに出ていただきました。トロフィーと賞状は、10月に東京でスロヴァキア大使からいただきました。だからまだ、ブラティスラヴァには行ったことがないんですよ。でも、グランプリを取った人が次回に特別展をすることになっているので、今秋行く予定です。人形のオブジェやタブロー、原画などを準備しています。


Q★BIBは絵本の原画だけを対象にした賞ですが、ストーリーや構成が評価の対象にならないことについて、どう思われますか。

A☆絵本には絵が与える感覚的な力がとても大切だと思います。『よるのようちえん』の原画は、わたしのふだんの仕事である、造形の延長線上からできたものです。それを評価されたというのは、単純にうれしかったですね。

M☆ぼくら、絵本作家というより画家やからね、だからかえって、無心の気持ちで作れるのやないかな。BIBの賞も一生懸命やったから、宝くじに当たったようなもの。もらおうとして、もらえるものではない。欲出したら、よくないのよ。


Q★ボローニャ・ブックフェアには、BIBの受賞作家として招待されたそうですが、実際参加されてどのような感想を持たれたでしょうか。

A☆ボローニャのブックフェアは、世界中の出版社が子どものための絵本をブースごとに展示している見本市と、イラストレーション展とで構成されています。イラストレーション展は、フィクション部門とノンフィクション部門があって、わたしはフィクション部門で特別展示をしていただきました。ベテラン作家から新人まで、絵本のイラストレーションを描きたい人たちと、編集者・出版社の出会いの場所ですね。とても活気があります。ボローニャの審査員は毎年変わるそうです。偏った見方にならないようにという配慮でしょうか。年ごとに受賞作品のの傾向は変わりますが、多様性が出るとも言えますね。わたしは、ボローニャのことも全然知らなくて……。ブラティスラヴァの時、松本猛さんがちらっと「次はボローニャだね」とおっしゃったけど、何のことかなあって。絵本の世界のことはよく知らなかったんですね。


Q★ご自身の絵本は、どのようなスタンスで作られているのでしょうか。

A☆『まるまる』の時は孫を意識して作りました。でもほんとうのところ、子どもの気持ちになりきれるわけではないですから、自分が楽しくおもしろい、と思うものを作ります。パツォウスカーやムナーリのように自分の考えがはっきりしているものが好きです。自分もそういうものを作りたいと思っています。言葉はあってもなくてもいい、視覚的に子どもの心に深く訴えられたらいいですね。もちろん、絵と言葉がある絵本に対しても、肯定的に考えています。でも自分では、そうでないものを作ってみたい、感性に強く訴えかけられるような絵本が作れたら、世に問うてみたいのです。


Q★ご自身の絵本をふくめ、子どもと絵本とのかかわりをどう考えておられますか。

A☆子どもにとって、いろんなものがあった方がいい。普通の絵本だけが絵本だと思わないで、こんなのも絵本か、と思うのがあったらいいですね。「えー、こんな絵本!」とびっくりするような絵本を作りたい。何か、突き抜けたようなもの。子どもの感性にいい意味で残っていくようなもの。

M☆うちに来る銀行のお姉さん、ぼくの絵は難しいねって言うよ。「わけわからんもん描くな」という投書もあったしね。でも子どもはおもしろがるんやなあ。


Q★翻訳についてのお考えもあれば、お聞かせいただけますか。

A☆どういう翻訳がいいか、絵本にのせる言葉として何がいいか、難しいですね。たとえば、犬の鳴き声も鳥の声も、国によって言葉での表現は全然違うでしょう。それを日本語に置き換えるのはたいへんですね。その国と日本の生活習慣の違いを考えて、言葉を選ぶ必要があると思います。『よるのようちえん』を英語に翻訳するとすれば、谷川さんが「自分で書く」と言っておられました。「翻訳は難しいだろう」って。

M☆(元永氏の絵本『カニ ツンツン』を出されて)これは蟹の絵本やないのよ。アイヌ語で鳥の鳴き声をこう言うんやね。金関寿夫さんが、アイヌやアメリカ先住民の言葉で文を書いた。意味はわからなくても、音として言葉を読むのはおもしろいね。音のセンス、いうのかな。


Q★昨年は絵本作り以外に、子ども対象の活動をされたこともあるそうですが。

A☆ボローニャ国際絵本原画展を開催中の四日市博物館で、ワークショップをやりました。大きな段ボール紙を使って、子どもたちに「夜の博物館に現れるものたち」を作ってもらったんです。やんちゃな子の絵がストレートでおもしろかった。それから、高校生対象の「夢の森児童文化賞」の審査員をしました。紙に「歩く」というテーマで描いてもらったのですが、ストレートなエネルギーやファンタジーのあるものが少なかった。小さい子の絵の方がおもしろいですね。大人になってくると、考えることが先に立って、絵画的におもしろいものが少なくなるのかしら。もともと子どもは、おもしろいものを持っているのに、それがどこかで消えてなくなる、悲しいですね。


Q★今後の絵本制作の予定をお聞かせください。

A☆福音館書店から「こどものとも 0、1、2」で新作が出ます(『あっちむいて こっちむいて』)。他にも依頼はたくさんありますが、普段はタブローやオブジェの制作のことばかり考えていて……。でも、絵本の仕事にかかれば、絵本に集中します。絵本の仕事は片手間ではできないですから。半端ではありません。いいものができたら、出版できるでしょう。それからお尻叩かれる感じで後押しがあれば、ね。


Q★元永さんとのコラボレーションなどは考えておられますか?

A☆阪神大震災の被災者を励ますプロジェクトのために、ふたりでモニュメントを作っています。長さ30mのベンチで、安藤忠雄さん設計のアジア防災センターにある公園に置かれます。被災地の子どもたちの描いた絵も、はめ込む予定です。(模型を見せてくださる。おふたりの絵本に登場するキャラクターが、デザインに盛り込まれている。インタビュアー4人、思わず、かわいい! と叫んでしまう。公園は神戸市に5月オープン予定。)


 物静かな語り口の中辻さんを応援するように、元気いっぱいの関西弁で言葉を添えてくださる、元永さん。ニューヨークで知り合い、その後も友人となった谷川俊太郎氏、故金関寿夫氏に関して、「ふたりに出会っていい絵本ができた。やっぱりお風呂に入らんといかんのや――ニューヨーク、にゅうよく、わかってぇ」。すると中辻さんが「ブー」。おふたりはすばらしいアーティストであると同時に、すてきなカップルでした。予定時間の倍以上もお話ししていただき、おいとますると、外は雪。息は白くても、わたしたちの心はポカポカでした。


 中辻悦子さんは、以前阪神百貨店で広告デザインの仕事をされていました。1959年から1963年ころに、シルクスクリーンで制作されたポスターが1枚もお手元に1枚も残っておらず、探していらっしゃいます。情報をお持ちの方は、編集部(mgzn@yamaneko.org)までお願いします。

インタビュアー : 中務秀子

※本の表紙は、出版社の許可を得て使用しています。
※写真は、ご本人の許可を得て使用しています。

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