やまねこ翻訳クラブ 資料室
鈴木仁子さんインタビュー
ロングバージョン
『月刊児童文学翻訳』2007年10月号より一部転載
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Q★ドイツ語を専攻されるようになった経緯を教えてください。 |
A☆もともと、外国語と文学を勉強したいと考えていました。英語が好きで、高校時代はESSに入っていたくらいですが、なぜか英語を専攻するつもりはありませんでした。当時はヘッセが好きな作家のひとりでしたし、影響を受けた若い先生の真似をしてわけもわからないままドイツ哲学の本を開いてみたりしていたので、ドイツ文学が身近にありました。それでドイツ語を選んだというわけです。 |
Q★それでは、ドイツ語の翻訳をするようになったきっかけを教えてください。 |
A☆大学院生の時に、当時名古屋大学教養部で教鞭を取っておられた池田信雄先生の全学部向けヘーゲル講読の授業を受けたことがきっかけで、池田先生や夫人である池田香代子さんと親しくなりました。それで、美術書の下訳を紹介していただいたのが最初でした。真っ赤な原稿が返ってきましたね。その後、池田先生たちは東京に移られ、私は名古屋で非常勤講師としていろいろな大学でドイツ語を教える仕事をして、翻訳からは遠ざかっていました。でも、なにか心の中にぽっかりと穴があいたようで……自分はいったい何をやりたいのだろうと、精神的にかなり苦しい状況に陥ってしまいました。それで池田香代子さんに手紙で「翻訳のお手伝いをさせてほしい」と気持ちを伝えたところ、「いそぎの仕事があるから」と文学作品の下訳の仕事をくださったんです。文学の翻訳はそれがはじめてでした。一語一語の手触りを確かめながら、音を聞いたり、言葉と言葉の隙間を見つめたりしながら、舐めるように読みました。そのとき、作品に深く触れる喜び、言葉が自分の中に落ちてくる喜びをひしひしと感じたんです。訳すのが楽しくてたまりませんでした。そのことを後日池田さんに話したら、「訳文から喜びが伝わってくる」と言っていただいて嬉しかったことを、今も覚えています。それからは、大学の講師の仕事をしながら、下訳の仕事をしたり共訳で翻訳書を出したりするようになりました。 ある時、大学の研究会で「ドイツ語圏における女性の文学」の発表を担当することになりました。好きだったエルフリーデ・イェリネクで発表しようと準備を進めていたのですが、途中でルート・クリューガーのある作品を読んだらすごくおもしろくて、どちらを取り上げるかで悩みはじめました。それで、信頼できるふたりの方に手紙を書いて、クリューガーはこんな内容のこんなすばらしい作品を書いているのだけれど、と詳しい内容も添えて相談しました。そのうちのひとりが池田香代子さんで、池田さんからの返事は「すごくおもしろそうだから訳してごらんなさい。出版社に紹介してあげるから」でした。そんな経緯で、思いもよらず、1997年に『生きつづける―ホロコーストの記憶を問う』が、はじめてひとりで訳した作品として出版されました。ほれこんで訳した本ですから、大変だったけれどとても嬉しかったですね。池田香代子さんは、師匠でもあり、恩人でもあります。 |
Q★大学で教鞭を取られながら、翻訳の仕事も続けていらっしゃるわけですが、ご自分の中で、研究者と翻訳家のふたつの世界をどう住み分けていらっしゃいますか。 |
A☆私は研究者というわけではないんですよ。2年半前にドイツ語の教師として椙山女学園大学国際コミュニケーション学部に着任しましたが、研究者としてではなく、「言葉と格闘している現場の人がほしい」と言われ、翻訳者として受け入れていただきました。 でも、大学の仕事が多くて、翻訳にかけられる時間が激減したのは、正直つらいですね。翻訳はひとつの作品に集中して訳すのが大事で、ゼーバルトは最低1年に1冊のペースで訳す約束になっていたのですが、現実は1冊に1年半かかってしまいました。 |
Q★『ブループリント』(シャルロッテ・ケルナー作/講談社)が初の児童書となりますが、どのような経緯で児童書を訳すようになったのでしょう。この作品は2000年ドイツ児童文学賞ヤングアダルト(以下YAと表記)部門受賞作品ですね。 |
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A☆YAということであれば、『インゲへの手紙―ある真実の愛の記録』(ラインハルト・カイザー作/白水社)のほうが先です。こちらも、1997年にドイツ児童文学賞ノンフィクション部門を受賞しています。『生きつづける』を目にとめてくれた編集者さんが、同じホロコーストものということで紹介してくださいました。 『ブループリント』は、編集者さんがブックフェアでゲラ段階のものを探してこられて、リーディングさせてもらいました。読んでみると、作品の厚みには欠けるけれど、クローン人間というタイムリーな問題をはらんだものが小説の形になっていて、しかもクローンの視点に立って書かれているところが独特で、おもしろいと思いました。『生きつづける』から関心のあった、母と娘の関係というテーマにもひかれました。全体的に力強いメッセージを感じる作品です。 |
『ブループリント』 |
Q★「4と1/2探偵局」(ヨアヒム・フリードリヒ作/ポプラ社)は、語り口が生き生きした楽しいシリーズですね。このような楽しい児童書と一般書では、訳す際の気持ちの切り替えが必要かと思いますが、どうされていますか。 |
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『4と1/2探偵局1 |
A☆このシリーズは、ポプラ社の新人編集者さんが英語のレジュメを読んで決められたものです。とても愉快なシリーズで、ドイツではもう15巻も出ているんです。日本では5巻で終わっ
てしまったのですが、またいつか機会があればつづきを訳せたらなとときどき思うんですよ。 それまでのYA作品2冊を訳すにあたっては、一般書の時と大きな違いは感じませんでしたが、これは初の児童書で、私にとっては新しい体験でした。冒頭部分を訳して提出したら、原稿にびっしりアドバイスが書き込まれて戻ってきました。真っ赤というか、鉛筆書きだったので真っ黒でしたが(笑)。「この場面のこのセリフだと、この言い方のほうが良いのでは?」と、改案も提示してありました。アドバイスを取り入れてみると、とたんにキャラクターが生き生きと動き出して、私に語りかけてくるようになりました。この時に、作品が「日本語の文学の世界」として自立していなければならないんだ、と身にしみて感じました。日本語の作品として読者に届けるという意識ですね。児童書のほうが読者への配慮が大きくなるなどの違いはありますが、一般書も基本は同じであって、ここで学んだことは一般書を訳す際にもおおいに役立っています。 「4と1/2探偵局」シリーズのレビューが、月刊児童文学翻訳2007年10月号「プロに訊く連動レビュー」に掲載されています。 |
Q★『ヘラジカがふってきた!』(アンドレアス・シュタインヘーフェル作/ケルスティン・マイヤー絵/早川書房)は、ドイツではクリスマスには必ず読み返され、映画化もされている人気の作品だそうですね。 |
A☆早川書房さんが「ハリネズミの本箱」のシリーズを始めた時に、ドイツ語の本の候補を数冊リーディングさせてもらいました。でも、どれもぴんとこなくて。そこで思い出したのが、シュタインヘーフェルの『ヘラジカがふってきた!』です。彼のYA作品が気に入っていて、いろいろ読んだ中の1冊でした。10ページほどの試訳をつけてレジュメを出したらOKがでました。ほのぼのしていて、繊細で、絵もかわいい。今でも好きな作品なので、映画のDVDはどう映像化されているのかこわくてまだ見ていません。 |
Q★鈴木さんからの持ち込みと、出版社からの依頼と、どちらが多いですか? |
A☆出版社からリーディングの依頼を受けた作品が良かった場合に、翻訳にむすびつくことが多いですね。エージェントさんからも、リーディングの依頼をいただきます。先ほど話した『生きつづける』や『ヘラジカがふってきた!』は結果的に持ち込みということになりますが、持ち込みが成功した数少ない例です。 |
Q★日本や英米とくらべて、ドイツ文学の特徴をどう考えていらっしゃいますか。また『生きつづける』などホロコーストの作品を訳しておられますが、ドイツの「過去の克服」についても少しお話しいただけますか。 |
A☆一般的に言えるかどうかわかりませんが、ドイツ文学は良くも悪くも「くそまじめ」ですね。ひとつの問題を、真正面からもほかの側面からも徹底的に考え抜きます。それは奥深さでもあるし、狭さでもあるかもしれません。遊び心やユーモアに乏しいといった面もあります。そういった息苦しさはあるけれど、ドイツ文学の持つまじめさは、私の好きなところです。 また、ドイツという国が、自分たちが過去にしたことに向き合っていく姿勢を持っているのはやはりすごいことだと思います。例えば、高校生の教科書ひとつとっても、現代史の厚みがすごい。一般市民がヒトラーにどう関わっていたのかということまで、踏み込んで紹介しています。日本とはずいぶん違いますね。陸続きのヨーロッパにおいては、そうしないと生き延びてこられなかったという面もあるでしょう。 ただ、ドイツではよく「過去の克服」という言葉が使われますが、過去とは「克服」という言葉で向き合えるものではないような気がしています。文学においては、過去をどう呼び出すのかも問題になってくるのではないでしょうか。過去のできごとを物語の中で飼いならしてしまうのではなく、文学として、どんな形式で、どんな語り口で書くのか――ドイツの作家が過去をどう語っているのかに私は興味があります。その点で『生きつづける』は力ある作品でした。ホロコーストを体験した作者の自伝なのですが、今の自分と過去の自分を往復することによって、文体そのものが過去を封じ込めることを拒んでいます。また青少年に向けた『インゲへの手紙』も、独特なアプローチをとっていました。編著者であるカイザーが1991年にオークションでせりおとした手紙の束を元にした作品で、ユダヤ人男性とスウェーデン人女性の現実にあった悲恋物語なのですが、著者はそれをフィクション仕立てにせずに、自分自身が取材を通して過去をたどっていく、その過程そのものを書くんですね。読者も著者とともにたどることができるわけです。 |
Q★ドイツで、好きな作家・注目している児童文学の作家はいますか。 |
A☆やはり『ヘラジカがふってきた!』のシュタインヘーフェルが好きですね。また、『白い貝のいいつたえ』(ベンノー・プルードラ作/評論社)を読んで、とても心ひかれました。小さい子の小さい痛みが描かれている作品で、上田真而子さんの訳も素晴らしいです。私も、そんな小さい痛みの描かれた作品を訳してみたいですね。 |
Q★ドイツ児童文学賞の受賞作品を見ていくと、他の国からの翻訳作品もたくさん受賞していて、懐の広さを感じるのですが、どう思われますか。また、翻訳作品については、受賞作品の発表の際に翻訳者の名前が付されるようになったのは、つい最近のことのようですね。 |
A☆全世界からの作品も対象にしているのは素晴らしいことですが、ドイツの作家のものが少ないのは、やはり寂しいです。翻訳者の名前については、本の表紙に名前が印刷されているものもほとんどみかけません。ヨーロッパにおいては、似たような言語圏にあるせいか、言語のハードルがあまり高くないという意識があって、翻訳者の力が不当に低く評価されているように思います。 不当な評価という面では日本でも同じで、ドイツより翻訳者の認知はされているものの、経済的にはあまり恵まれていません。また、児童書は一般書よりも翻訳料が低いケースもあるようです。翻訳者の権利については声をあげていかないといけないと思っています。 |
Q★ゼーバルトとの出会いについて教えてください。また『アウステルリッツ』で受賞されたレッシング翻訳賞のことも教えていただけますか。 |
A☆ゼーバルトで最初に訳したのは『アウステルリッツ』ですが、これはある日突然出版社から送られてきたんです。実はその前に編集者さんが電話をくださったらしいのですが、留守をしていたところ、いきなりコピーが郵送されてきました。読んでみると、最初の半ページでぱっと引き込まれて、心臓が震える感じがしました。はるかに私の力を超えているのはわかったんですが、手放すのが惜しくて、お引き受けしました。出だしの部分が本当にすばらしかったので、その魔力みたいなものにのめりこむような感じで訳していきました。ゼーバルトを訳していると、彼の世界の中に沈みこんでいくような感覚になります。『アウステルリッツ』の時は、その重さに耐えかねて1か月くらい休んでいたこともありました。決して売れる本ではないのですが、白水社さんはとても力を入れてシリーズ化しておられて、編集者さん、出版社さんの姿勢に感謝しています。 2003年に受賞した「ドイツ連邦共和国レッシング翻訳賞」は、ドイツ政府が翻訳の奨励をしてくれるありがたい賞です。同時に「マックス・ダウテンダイ・フェーダー賞」も、政府の文化機関であるドイツ文化センターの提供で発表されます。ドイツは今、財政難ですけれども、今後もこういった文化助成にはかわらぬ力を注いでほしいと願っています。またドイツ文化センターは、「ベルリン文学コロキウム」での研修にも協力してくださっているんですね。「翻訳アカデミー」といって、ドイツ文学の翻訳者を世界各地から毎年10人ほど呼び、文学動向を紹介したり、出版社訪問をさせてくれるものです。日本からも毎年ひとりが助成を受けて参加しており、私も4年前に恩恵にあずかりました。他国の翻訳者と交流したり情報を入手できるとてもよい機会となりました。 |
Q★今後のお仕事の予定について教えてください。 |
A☆白水社の「ゼーバルト・コレクション」があと3冊あって(6巻は『アウステルリッツ』の改訳)、4巻の『空襲と文学』が来夏に出る予定です。またYAでは、アメリカのゴールド・ラッシュの時代を舞台にした『ハザウェイ・ジョウンズ(仮題)』(カティア・ベーレンス作/白水社)と、ホモ・セクシュアルの男の子が主人公の作品が他社で予定されています。 |
Q★翻訳家をめざすみなさんへのアドバイスをお願いします。特に、ドイツ語など、英語以外の言語からの翻訳を目指しているメンバーに対しても、一言お願いできますでしょうか。 |
A☆作品への愛がすべてではないでしょうか。もちろん自分への自戒を込めて言うのですが、言葉ひとつひとつにこだわって作品を読み込んでいかなければならないと思っています。その元にあるのが愛情ですし、また日本語文学として、読者の方を向いて訳すという姿勢も大切だと考えています。 |
椙山女学園大学の機関誌に掲載された鈴木仁子さんの翻訳に関する寄稿文を読んだことがきっかけとなり、名古屋在住のやまねこ会員で今回のインタビューをすすめてきました。名古屋から「プロに訊く」が発信できることを、とても嬉しく思います。 |
インタビュアー:植村わらび 2007-10-15作成 |
※本の表紙は、出版社の許可を得て使用しています ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~ copyright © 2007 yamaneko honyaku club |