月刊児童文学翻訳 増刊号 NO.7
2003年11月1日発行
作家紹介
オルレブについて
翻訳家、母袋夏生さんから 〜オルレブ作品の魅力――その背景にあるもの「私たちは生きようとしていた」
作品紹介
読み物
走れ、走って逃げろ(2003.7)
砂のゲーム(2000.8)
羽がはえたら(2000.8)
クジラの歌(アンソロジー『鏡』より)(1999.9)
壁のむこうから来た男(1995.7)
壁のむこうの街(1993.3)
絵本
おしゃぶりがおまもり(2003.8)
編みものばあさん(1997.11)
ちいさいおおきな女の子(2002.06)
Tシャツのライオン(2001.1)
かようびはシャンプー(2000.2)
編集者の思い
岩崎書店 〜 『砂のゲーム』(自伝)
岩波書店 〜 『走れ、走って逃げろ』(読み物最新刊)
講 談 社 〜 『おしゃぶりがおまもり』(絵本最新刊)
編集後記に代えて
∞∞ オルレブについて ∞∞
ウーリー(ウリ)・オルレブ(Uri Olrev)は、1931年にポーランドのワルシャワでユダヤ系の両親の長男として生まれた。第2次世界大戦前は、医者をしていた父親、母親、弟、乳母と、ワルシャワ郊外で静かで平和な暮らしをしていたが、ドイツのポーランド侵攻により生活が一変する。その後のオルレブの半生については、本メールマガジンでも紹介する自伝『砂のゲーム』で詳しく語られている。ゲットー(注1)やポーランド人区での隠れ家生活、ベルゲン・ベルゼン強制収容所での息詰まる日々ののち、1945年9月に弟とふたりでイスラエルへ渡った。キブツ(注2)の寄宿学校で学んで農業に従事し、ヘブライ大学に進学。卒業後はラジオやテレビで子ども向けの番組を制作する仕事に携わった。1956年に『鉛の兵隊』(未訳)を発表後、子ども向けの作品を中心に作家として活躍、1996年には国際アンデルセン賞を受賞した。
現在はエルサレム在住。家族は妻、娘、ふたりの息子と、最初の結婚で生まれた娘、そして孫たちにも恵まれている。
(注1)ユダヤ人を隔離するための居住区。周囲は壁で囲われて自由な出入りは認められていなかった。
(注2)イスラエル式の生活共同体。住居や教育、仕事(農業、各種工業など)の場が提供され、集団生活を送る。
∞∞ 翻訳家、母袋夏生さんから ∞∞
オルレブ作品の魅力――その背景にあるもの
「私たちは生きようとしていた」
平易な語り口とやわらかなユーモア――オルレブ作品の魅力です。
作品には生き残ろうとする意志、信ずるものを守ろうとする姿勢、被害者・加害者の構図を超えた人間としての尊厳、マイナス要素をプラスに変えていこうとする柔軟な精神が一貫して流れています。1997年に来日したオルレブは、「ホロコーストを固定観念や感傷で論じてほしくない。私たちは生きようとしていた」といい、「世の中はパラドックスに満ちている、一つの定規だけで測っていてはつまらない」と強調しました。傷を負った歴史や傷を負わせる現実を語りながら、彼の作品は否定的でも悲観的でもありません。そして読んでいるうちに主人公の生きようとする意志を感じとって、いつしか自分も前向きになっています。
絵本やファンタジーや短編はもっと肯定的です。たいていは子ども時代の思い出や子育てがヒントになってイメージがふくらむとか。たとえば、『かようびはシャンプー』はお風呂ぎらいだった弟の思い出から、『おしゃぶりがおまもり』は長男がおしゃぶりを手放そうとしなかった経験から、『編みものばあさん』は「カーテンを編んでる」友だちと奥さんがキッチンでおしゃべりしているのを聞いて想像がふくらんだそうです。
好物はココアと牡蠣。子どものおもちゃをぜんぶ手作りしたほど器用です。相撲ファンでケーブルテレビ経由でテレビ観戦しています。
▼やまねこ翻訳クラブ資料室 母袋夏生さんインタビュー
▼やまねこ翻訳クラブ資料室 母袋夏生さん訳書リスト
現在邦訳されているオルレブの作品は、絵本5冊、読み物6冊(うち1作は短篇集収録作品)。その全作品を、やまねこ翻訳クラブ会員によるレビューに、9月に本クラブ読書室掲示板で行われた「オルレブ作品読書月間」企画に寄せられた感想を添えてご紹介する。
▼やまねこ翻訳クラブ「読書室掲示板」
(注)作品の背景について
『走れ、走って逃げろ』、『砂のゲーム』、『壁のむこうから来た男』、『壁のむこうの街』の4作品は、第2次世界大戦中のポーランドが舞台となっている。1939年にドイツによる侵攻を受けて以来、当時のポーランドはナチス・ドイツの支配下にあった。ユダヤ人はゲットーに隔離されたのち各地の強制収容所へ送られ、その多くが虐殺された。レビューではそれらの背景説明を最小限におさえているが、厳しい状況は共通している。
○苦しくても、辛くても、どうしようもなくなっても、前を向いて生きていくスルリックの姿、また、スルリックのことをユダヤ人だと知りつつも、助けてくれたポーランド人が存在した事実に、読みながら希望が持て、助けられた。 (ワラビ)
○読んでいて不思議だったのは、「悲しくて大変」という気持ちだけにひたらなかった、ひたらしてくれなかったということです。(Incisor)
○読んでいると子どものときの感覚がよみがえってきます。日常のなかのひとこまをこんな風にすくいとって、読ませてもらえるのは嬉しいです。なんでもなく過ごしている日々がとてもいとおしくなります。(ちゃぴ)
○夢をみることは、現実の人生とあわせて2倍生きるようなことだと言われたことがあり、その言葉を、この本を読んで思い出した。(さかな)
○男の子にとって、父親は乗り越えなくてはいけない壁。マレクにとっては、実父と義父のアントニーの両方が壁なのだったと思いました。(蒼子)
○ドイツ人の描き方にはっとさせられるものがありました。ナチス・ドイツというイメージから、ドイツ兵はみなオニのような存在に見えてしまうのですが、一人ひとり個性があって当然なんですよね。(河まこ)
○絵をゆっくりながめたい、読みたい。そういう気持ちになる本が、たまに現れます。「目が素通りできない」本というわけです。(爽子)
○身勝手で冷たい世間の風に毅然とした態度を示したおばあさんには拍手を送りたいです。(あんこ)
以下の3作品は、「月刊児童文学翻訳」、および新刊翻訳書と洋書紹介のメールマガジン「海外読物案内」(やまねこ翻訳クラブ会員も執筆に参加)に掲載されたレビューをご覧ください。
『ちいさいおおきな女の子』 ジャッキー・グライヒ絵/もたいなつう訳 講談社 2002.6 「海外読物案内」2002年7月23日号 |
○小さく小さくなってしまう両親が最高! まるで『ガリバー旅行記』なみのパラレルワールド。望みは適ったあとで、本当の気持ちがわかるもの? ほっとする結末でした。(おちゃわん)
『Tシャツのライオン』 ジャッキー・グライヒ絵/もたいなつう訳 講談社 2001.1 「海外読物案内」2001年4月10日号 |
○「こういわれたいのに、みんなはそういってくれない」あるいは「こうなりたいのになれない」という、なんとももどかしい気持ちって、最近は自分の中でやや薄れてしまっているけれど、自我に目覚めたころからずーっと持ち続けているなぁと思い起こすことができました。(ち〜ず)
『かようびはシャンプー』 ジャッキー・グライヒ絵/もたいなつう訳 講談社 2000.2 「月刊児童文学翻訳・書評編」2000年4月号 |
○数ある中から、これを選んだ理由は、「この本を娘に読ませたら、シャンプー嫌いが克服できるかも」という下心でした。効果ありという結果が出て、親としてはにんまりしています。(hanemi)
∞∞ 岩崎書店 池田春子さん ∞∞
〜 『砂のゲーム』(自伝) 〜
『もちろん返事をまってます』(ガリラ・R・アミット)を出させて頂いた母袋夏生先生とのご縁で、オルレブの『砂のゲーム』を出版させて頂くことができました。
冒頭、“砂のゲーム”のたとえ話で、戦争が一人ひとりの人間をもてあそぶ非情さ冷酷さが鮮やかに描かれます。一度読んだら忘れられない強烈な印象を残す場面です。
そして、主人公兄弟は、今起こっていることは冒険物語の一場面で自分たちはそのヒーローであり、必ず生き残ってハッピーエンドを迎えるのだという確信の下に過酷な状況に耐えて生き抜きます。夢中になって遊ぶことを通して育まれた想像力が生きる力として発揮され、それはドイツ兵にピストルをつきつけられた時も兄弟を支え抜いたのです。
徹底した子どもの視点、ときに漂うユーモア、『砂のゲーム』は事実をどう伝えるかの方法をしっかり持った文学作品だと思います。
なかでも、母親の死をたった3行の間接的な記述を重ねて描いた箇所は「すごい!」と思いました。オルレブは映画が大好きとありますが、母親の登場するいくつものシーンがこの素気ない3行から一気に蘇ってきます。また、子ども時代には憧れていた父親と戦後再会したときの違和感、死んだ父親と対面して絆が再び結ばれる描写にも胸を打たれます。
戦争体験を描いた作品はたくさんありますが、日本語に訳して400字詰め原稿用紙100枚足らずという短い中に、これほど豊かな内容を凝縮した作品は少ないのではないでしょうか。写真とそのキャプションも大いに効果を上げています。
訳者の上質な日本語とも相俟って、一つの作品を繰り返し読む編集の仕事の幸せを味わわせて頂いた1冊でした。刊行後3年と少し、現在5刷になっていますが、もっともっと多くの子どもや大人の方たちに読んで頂きたいと思っております。
∞∞ 岩波書店 愛宕裕子さん ∞∞
〜 『走れ、走って逃げろ』(読み物最新刊) 〜
はじめて訳稿を読ませていただいたとき、つよい力にひきよせられるようにして、最後まで読み通したことを覚えています。少年の生きのびようとする本能にはほんとうに圧倒されます。過酷な体験の連続は想像をぜっするものです。淡々とした筆致が、つきささってきます。けれども、そんななかにあっても、少年が子どもらしいあどけなさを失わずにいること、たよりになる人をいつも求めていること、そしていつも前向きなことが、この作品にはゆたかに表現されています。わたしには、そのことがとても魅力的に思われました。読み終えたあとの余韻は、何日もつづきました。
ホロコーストを題材にした作品というと、隠れ家やゲットーあるいは収容所などを舞台にしたものがすぐに思い浮かびますが、この作品の舞台はポーランドの田舎です。しかも主人公は8歳の少年。貴重な体験録ともいえるでしょう。オルレブによってみごとに作品化されたおかげで、わたしたちはまた、歴史の証言にであうことができたのです。戦争はなぜいけないのか、この作品を読めばよくわかるというものです。ぜひ一度お読み下さいますよう、おすすめいたします。
∞∞ 講談社 小出和彦さん∞∞
〜 『おしゃぶりがおまもり』(絵本最新刊) 〜
初めてのボローニャ出張で、翻訳候補として手にしたオルレブ作品が、昨年刊行した『ちいさいおおきな女の子』でした。主人公のダニエラ少女が、ある朝、とても大きな子になって、いつもは父や母にいわれる「朝のこごと」を、両親におもいっきり投げつけながら、出勤の世話をするという、超ユニークな内容にびっくり。気がつくと、今回で4話目の刊行に立ち会うことが出来ました。イスラエルからのニュースを見るにつけ、おろおろするのは、私だけではないと思いますが、そんなエルサレムで、深くそして静かに人間のユニークさを描くオルレブ氏のこの絵本連作には、輝く明るさと希望が隠されています。ナチスの絶滅収容所から生還したオルレブゆえの温かさと想うのは、深読みしすぎでしょうか。ぜひ、『おしゃぶり』を読んでみてください。
(講談社「絵本通信」サイトより、許可をいただいて転載いたしました。)
母袋夏生さんのお言葉にもあるように、オルレブの作品の最大の特徴はユーモアだと思う。テーマがホロコーストでも、子どもや家族の日常でも、すべてに同質の温かさがある。オルレブという作家を知って以来、わたしはこのユーモア、温かさの質についてずっと考えてきた。幸せな家族のドタバタした日常を描いた絵本と、あまりに過酷な状況で生きる子どもの生活を綴った物語が、なぜ同じ温かさを持ちうるのかと。
今回、邦訳された全作品を集中的に読み返し、その答えが見えてきた気がする。つまりオルレブは、どのような物事に対しても、人間に対しても、公正なのだ。負の感情がないということとは違う。ただあらゆる物事に等しく心を開いているということ。ドイツ兵であってもシャンプーがきらいな男の子であっても、その人の本質を見つめる。悲しみは悲しみとして、喜びは喜びとして、ありのままに受け入れる。表面的なものにとらわれない自由な心。それがオルレブのユーモアの源流なのではないだろうか。
だからこそわたしたちも、自由な心でオルレブの作品を読もう。そこに一貫して描かれている人生の希望、人間への愛情はすべてを越えて胸に迫る。そして世界の不条理(戦争でも、だいきらいなシャンプーでも)に対して、わたしたちがどのように立ち向かっていけばよいのかを教えてくれる。
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母袋夏生さん、また岩崎書店の池田春子さん、岩波書店の愛宕裕子さん、
講談社の小出和彦さんのご協力に、心より感謝申し上げます。
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(中村久里子)
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発行人 西薗房枝(やまねこ翻訳クラブ 会長)
企 画 河原まこ
編 集 中村久里子
編集協力 河原まこ 菊池由美 鈴木明美 須田直美 竹内みどり 林さかな 三緒由紀 横山和江
蒼子 あんこ Incisor おちゃわん 河まこ さかな 小湖 Gelsomina sky 爽子
ち〜ず ちゃぴ hanemi みーこ ラナ ワラビ
協 力 池田春子(岩崎書店) 愛宕裕子(岩波書店) 小出和彦(講談社)
母袋夏生
出版翻訳ネットワーク管理人 小野仙内
・増刊号へのご意見・ご感想は mgzn@yamaneko.org までお願いします。
作品の表紙画像は、出版社の許可を得て、掲載しています。
▲▽本文および表紙画像の無断転載を禁じます。▽▲
copyright © 2003 yamaneko honyaku club