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やまねこ翻訳クラブ 資料室
 フィンランド児童文学の魅力を語る 

『月刊児童文学翻訳』2008年6月号に掲載された「特別企画」の ロングバージョンです


 

 ここ数年、フィンランド作品の邦訳が相次いで刊行されている。フィンランドといえば、OECDの学習到達度調査で高い成績を収め、注目されている国だ。「学力世界一」といわれる子どもたちが読んでいる、フィンランド児童文学。今回はその魅力を探りたい。第1部では、フィンランドの概略と、これまで に日本語に訳された同国の児童文学を簡単に紹介する。第2部では、フィンランド語児童書の翻訳に携わる2人の翻訳者の対談をお届けする。


 第1部 フィンランド概観

 




●地理と風土〜フィンランド共和国のあらまし

 人口は520万。東西からロシアとスウェーデンに挟まれた位置にあり、国土の面積(日本から四国を除いた程度)のうち4分の1が北極圏内という、高緯度の国である。そのため夏季には夜中まで明るいが、逆に冬季の日照時間は極めて短い。また、「森と湖の国」と呼ばれるとおり、国土は6割が森林に、1割が湖などの水面に覆われている。加えて、バルト海には無数の島々が散らばり、独特の景観が見られる。

●歴史〜大国のはざまで

 現在のフィンランドの国土に相当する地域は、政治的な統一が未確立のまま12世紀にスウェーデンの領土となり、キリスト教化が進んだ。650年に及ぶスウェーデン領時代の後、1809年にロシア領の大公国となる。大公国時代のフィンランドには大幅な自治権が与えられ、この間にフィンランド人の民族意識が高まっていった。フィンランド語の叙事詩『カレワラ』が出版され民族文化の象徴となったのもこの時期である。ロシアで革命が起きた1917年に独立を宣言し共和国となった。1995年、EUに加盟。

●言語〜2つの公用語を持つ国

 公用語はフィンランド語とスウェーデン語だが、両者には類似性がない。スウェーデン語はゲルマン系で、フィンランド語以外の北欧語と近く、欧州の主要な諸言語とも関連を持つが、フィンランド語はこれらの言語とはまったく系統が異なる。歴史上スウェーデン語は長期にわたり支配的な地位にあった。現在、スウェーデン語の使用者は国民の6%弱と少ないものの、公用語としては2言語が対等で、義務教育ではともに必修。どちらの言語でも文学作品が活発に発表されている。

●フィンランドの児童文学と日本

 フィンランド生まれの児童文学としては、トーベ・ヤンソンの「ムーミン」シリーズ(山室静ほか訳/講談社)があまりにも有名である。約40か国語に訳されているが、なかでも日本での人気が高いことは本国でも知られている。ほかに、「童話の父」の呼び名がある19世紀の作家サカリ・トペリウス(代表作『星のひとみ』万沢まき訳/岩波書店)や、女流作家イルメリン・サンドマン=リリウス(代表作『ムッドレのくびかざり』木村由利子訳/フェリシモ出版)の作品が、日本でも親しまれてきた。ただし、これらはすべてスウェーデン語で書かれたものである。フィンランド語の作品は、言語の特殊性のため、日本語をはじめ諸外国語に翻訳されにくい事情があった。
 それでも1970年代以降、少数ながら優れたフィンランド語作品が日本に紹介されてきた。読み物の例としては、2人の少女に起きるすてきな出来事を描く『オンネリとアンネリのおうち』(マリヤッタ・クレンニエミ作/渡部翠訳/プチグラパブリッシング)、透明感あふれる自然の描写が素晴らしい『羽根をなくした妖精』(ユリヨ・コッコ作/渡部翠訳/晶文社)、「童話の母」と呼ばれた作者による『アンニ・スワンのお伽話』(アンニ・スワン作/鈴木其美子訳/グロリヤ出版)、人間の服を着たペリカンが主人公の『ペリカンの冒険』(レーナ・クルーン作/篠原敏武訳/新樹社)などがある。また絵本では、『フィンランドのこびとたちトントゥ』(マウリ・クンナス文・絵/稲垣美晴訳/文化出版局)、『うちのあかちゃんトンパちゃん』(クリスティーナ・ロウヒ文・絵/坂井玲子訳/徳間書店)、『巨人のはなし』(マルヤ・ハルコネン再話/ペッカ・ヴオリ絵/坂井玲子訳/福武書店)など、フィンランドを代表する画家たちの作品が日本で出版された。
 さらにここ10年は、日本でフィンランドへの関心が高まり、翻訳者も増えてきたことから、フィンランド語作品の邦訳が次々に刊行されている。叙事詩「カレワラ」を平易な散文にした『カレワラ物語』(キルスティ・マキネン編著/荒牧和子訳/春風社)、第1回フィンランディア・ジュニア賞受賞作『ゴンドワナの子どもたち』(アレクシス・クーロス作/大倉純一郎訳/岩崎書店、本稿第2部を参照)をはじめ、さまざまな作品が日本語で登場した。本誌「注目の本」でも、これまでに4作品をご紹介している(本稿の最後にある参考ウェブサイトを参照)。今後、ますます多くの作品が日本の読者に届けられることを期待したい。

●フィンランドから世界へ

 フィンランドの文学界は、自国の作品を海外へ紹介すべく、積極的な取り組みを続けている。フィンランド文学協会およびフィンランド文学情報センター(FILI)は、1967年から英文の情報誌 "Books from Finland" を発行しており、また国外で翻訳出版されるフィンランドの文学作品のために各種助成金を設けている。


【参考文献】
『新版世界各国史21 北欧史』百瀬宏・熊野聰・村井誠人編/山川出版社/1998

▼在日フィンランド大使館ウェブサイト
http://www.finland.or.jp/doc/ja/finlando/nutshell.html
 

 

 第2部 対談:フィンランドの児童文学

 





【 上山美保子(うえやま みほこ)さん 】

 東京都出身。フィンランド技術庁 Tekes 東京に勤務。フィンランド語の翻訳に携わるほか、通訳や語学学校講師も務める。訳書に『フーさん』(本誌2007年10月号「注目の本」参照)、『フーさんにお隣さんがやってきた』、『フーさん引っ越しをする』(いずれもハンヌ・マケラ作/国書刊行会)がある。

ご多忙のところお時間を割いてくださった上山さんに、心より御礼申し上げます。



『フーさんにお隣さんがやってきた』

ハンヌ・マケラ作 上山美保子訳
国書刊行会

『シーソー』

ティモ・パルヴェラ作
ヴィルピ・タルヴィティエ絵
古市真由美訳
ランダムハウス講談社


【 古市真由美(ふるいち まゆみ) 】
(本稿執筆も担当)

 東京都出身。都内でフィンランド企業に勤務の傍ら、フィンランド児童文学の日本への紹介に努めている。訳書に『シーソー』(本誌今月号掲載の「特別企画連動レビュー」参照)がある。やまねこ翻訳クラブ会員。   


●フィンランド人の誇り『カレワラ』

―最も重要なフィンランド語文学の一つという『カレワラ』は、どんなものですか?

 

古市:19世紀に出版された『カレワラ』は、編著者リョンロートが民間の口承詩を採集し、それらを一貫した筋のある物語としてまとめた民族叙事詩で、ゲルマン系の北欧神話とは異なる世界観を持っています。『カレワラ』では、世界は卵から生まれ、英雄たちは武力だけでなく、歌や呪術、つまり言葉の力で戦います。原詩は独特の韻律を持っていますが、散文で親しみやすい『カレワラ物語』が日本語で出たのはうれしかったです。『カレワラ』をモチーフにした児童文学もいろいろありますね。

上山:その代表は、1992年に出版されたマウリ・クンナスの絵本 "Koirien Kalevala"(仮題『犬のカレワラ』)でしょう。登場人物を犬に変えたユニークな〈カレワラ〉で、この本を知らないフィンランド人はいません。自国の文化を象徴する作品で、児童書版のスタンダードがあるのはいいことですね。フィンランドには『カレワラ』を題材にした有名な絵画作品がたくさんあるのですが、それらのパロディーも入っています。オリジナルの絵と見比べるのも楽しいものです。

古市:この国もファンタジーブームで、各国語からの翻訳がたくさん出ていますが、国産ファンタジーも生まれていて、中にはこの『カレワラ』の詩や設定を取り入れたものもあります。ファンタジーといえば、『指輪物語』の作者で言語学者でもあったトールキンは『カレワラ』を愛読し、人工言語「エルフ語」の創作にあたってはフィンランド語も参考にしたといわれています。トールキンは、欧州の中央とは異なる文化の香りを、『カレワラ』やフィンランド語に感じていたのではないでしょうか。
 


●北欧全体で共有する民話「トロル」と「小人」

―いまや英米のファンタジー文学に、北欧民話の「トロル」は不可欠な存在ですね。

 

古市: トロル(トロール)はゲルマン系の呼び名で、フィンランド語では「ペイッコ」といいます。日本の妖怪のような超自然の存在で、いろいろな種族がいるようです。

上山:ペイッコと並ぶ存在がトントゥです。小さな人の姿をしていて、人間の生活の場、たとえば納屋やサウナ小屋にいる、守り神のようなものです。サンタクロースの手伝いをするトントゥもいます。

古市:トントゥは、北欧の他の国ではニッセとかトムテなどと呼ばれるようですね。北欧は、欧州の中心部に比べキリスト教化が遅かったからか、こういう民間信仰の類がしっかり残っています。ペイッコもトントゥも、日本人には理解しやすいと思うんです。日本にも天狗や河童や、座敷童子がいますから。

上山:ですがキリスト教が深く根付いている英米文化圏からすると、エキゾチックに見えるのでしょうか。

古市:厳しい環境に暮らす北欧の人々は、自然の力に対する畏敬の念が強いことも、このような不思議なものたちの存在が信じ続けられる理由でしょうね。

上山:フィンランドで出版された、ペイッコやトントゥも含む不思議なものたちの図鑑があって、見ていると楽しいですよ。
 


●フィンランディア・ジュニア賞の10年

―フィンランド図書財団主催の「フィンランディア・ジュニア賞」という児童文学賞があるそうですね。どのような賞ですか?

 

古市:毎年12月に授賞があり、社会的にも注目される賞です。1997年が第1回で、昨年が10年目(第11回)でした。10年前と昨年の受賞作を比べると、興味深いですよ。第1回受賞作『ゴンドワナの子どもたち』は、イラン出身の作者がフィンランド語で書いた作品です。迷子のひな鳥を主人公にした本書のテーマは、「自分はだれ?」という根源的な問い。これは移民である作者自身の問い、そして当時のフィンランドが抱えていた問いです。1990年代のこの国は、国境を接する超大国ソ連の崩壊、深刻な不況、EUへの加盟などを経験して、進むべき道を必死に模索していました。昨年はというと、人気絵本シリーズの最新作 "Tatun ja Patun Suomi"(仮題『タトゥとパトゥのフィンランド』)が受賞しました。昨年は独立90周年だったため、国の歴史や地理が題材の作品が多かったのですが、これもその例です。タトゥとパトゥ兄弟が案内役になり、この国の風物や人々の暮らしを紹介する内容で、現代フィンランドのガイドブックとしても優れています。模索の時代から10年経って、この国は「これぞフィンランド」と提示する形を作ったのだなと感じました。同時に、存在を主張しないと、「一つの欧州」の中では他にまぎれて消えかねない危機感もあるように思います。

上山:この賞は、絵本も読み物も、YAも対象なので、受賞作は多彩ですよね。

古市: 今までの受賞作や候補作を見ると、民話風の絵本もあり、歴史ものやSFも、数学の問題を物語の中に入れた作品もある。詩の本もよく候補に挙がりますね。

上山:2005年の受賞作 "Kuono kohti tahtea"(仮題『お鼻をひくひく星に向けて』)は、挿絵が美しい詩集です。児童書から一般書まで、詩の本が多いのもフィンランドの特徴ですね。「赤ちゃんのための」と銘打った詩の絵本もあります。もちろん読み聞かせを想定していますが、リズミカルな詩は大人が読んでも楽しい。この国では、ちょっとしたカードにも韻を踏んだ詩が書かれているなど、日常生活に詩が溶け込んでいると感じます。やはり『カレワラ』の民ということでしょうか。フィンランド語の特徴として、隣り合った単語同士が同じ語尾を持ち、自然と韻を踏んだような形になるのですが、このことも詩が親しまれている理由の一つかもしれません。それと詩集に限りませんが、朗読の CD も人気がありますね。作家自身が朗読しているものも多いです。もともと目の不自由な人向けに考案されたそうですが、いまではだれでも気軽に利用するメディアになって、書店でも普通に売られています。

古市: そういえば私も初めてフィンランドに行ったとき、「ムーミン」のフィンランド語の朗読カセットテープを買いましたよ。
 

【特殊文字】「Kuono kohti tahtea」:「tahtea」の2つの「a」の上にウムラウト(¨)がつく
→「Kuono kohti tähteä


●フィンランドらしさを感じるとき

 

古市: 児童書に限らず、フィンランド語の文章を読んでいて、「オチ」がない、と感じることがよくあるんです。

上山
:ありますね。書き手は、自己との対話を進行させるように物語を作っている。

古市: 読者に向かって「これが答えです」と提示してこないんですよね。読者は受身でいることができず、能動的に思考することになる。前述の『ゴンドワナの子どもたち』には、読者へのメッセージとして、好きなところで物語を終わらせてほしいという意味のことが書いてあります。このあたりが、フィンランドの作品が哲学的と形容される理由かもしれませんね。

上山: フィンランド人はたしかに、内側を向いているというか、内省的なところがある人々ですね。

古市: 「ムーミン」の中に、「たったひとりでいることの、大きな大きなよろこび」という表現があります(※)。フィンランド人らしい「よろこび」だなあと思うんですよ。クロスカントリースキーが盛んな国ですが、このスポーツの魅力をフィンランド人に尋ねたら、「だれもいない静かな森でひとりになれるのが素晴らしい」といわれたことがあります。自分と向き合うために、自然の中に入っていくんでしょうね。でも、ひとりになりたいフィンランド人も、孤独になりたいわけではない。

上山: 孤独な状況に陥りやすい社会ではあるんですよね。18歳で成人すると独立するのが当然で、親子世代の同居はまずない。男女ともに仕事を持ち、自力で生活するのが基本です。順調なときはいいですが、パートナーを失ったり失業したりして悩む人や、冬の暗さのために精神のバランスを崩し苦しむ人も多い。そんなときには支えが必要なのに、あまり感情を外に出さない人々なので、助けを求めにくいのですね。

古市: そういうフィンランド人らしさを感じた作品に、2001年のフィンランディア・ジュニア賞受賞作 "Ihana meri"(仮題『美しい海』)があります。主人公の少女は、あらゆる面で完璧をめざすあまり精神的に追い詰められ拒食症になりますが、彼女が落ちていく内面の「海」の深さは、恐ろしくなるほどでした。自己と向き合える強さと、苦しいとき力を貸してくれる他者と、どちらもが必要なのだと痛感させられました。フィンランドの理想は、どんな環境でもひとりで生きられる力を持ち、その上で周囲からの愛情には恵まれることでしょうね。個人としても、国のあり方としても。

上山: 作品の印象でいうと、劇的でない、静かな作品が多いような気がします。ユーモアの要素を持つ作品もたくさんありますが、ナンセンスな出来事で大笑いさせることはあまりない。爆笑でなく、クスッと笑わせるのがフィンランド流ですね。

古市: もちろん、愉快なお話も、冒険ものやサスペンス風のものもあるけれど、おかしいだろう! すごいだろう! といった、押し付けがましさがないですよね。受け手に委ねられている部分が大きい。フィンランドの作品の読者は、自分なりの考えを持つ、自立した読み手であることが求められているといえますね。


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※『ムーミン谷の仲間たち』所収「春のしらべ」より(トーベ・ヤンソン作/山室静訳/講談社)






【参考】
フィンランド文学情報センター(FILI)ウェブサイト(英語)

フィンランド児童文学研究所(SNI)ウェブサイト(英語)

International Children's Digital Library 内、フィンランドのページ(英語)

国際子ども図書館「北欧からのおくりもの」展概要(2006〜2007年開催)

「白樺と星・フィンランドの児童文学」(古市真由美によるウェブサイト

▽これまでに本誌に掲載したフィンランド語からの邦訳作品のレビュー
  『ぶた ふたたび』(2004年3月号書評編

  『羽根の鎖』(2007年2月号)

  『フーさん』(2007年10月号)

  『タトゥとパトゥのへんてこマシン』(2008年2月号)

児童文学賞ルドルフ・コイヴ賞について(本誌2007年2月号「特別企画」)

マウリ・クンナス邦訳作品リスト(やまねこ翻訳クラブ資料室)

ユリア・ヴォリ邦訳作品リスト(やまねこ翻訳クラブ資料室)
 



記事執筆・古市真由美、協力・大井久里子
2008-06-15作成

※本の表紙は、出版社の許可を得て使用しています

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