洋書でブレイク |
青灰色の表紙には、こちらをまっすぐ見つめる少女の写真。この少女も、本の中の主人公と同じように、何かを訴えかけてくる。言葉にはならない言葉――心の叫び。 1934年、オクラホマ州。12歳のビリー・ジョーは、両親との3人家族。最初のページで、彼女は、自分が生まれた日のことを語っている。台所の床の上で産声をあげたこと。本当は息子がほしかった父親が、彼女に男の子の名前をつけたこと。 この本には、そんなビリー・ジョーの心のうちが、散文詩の形で綴られている。耳を傾けてほしい。ビリー・ジョーの声が聞こえてくるから。日記でも手紙でもない。電話でも、おしゃべりでもない。こちらをじっと見つめる目から伝わってくる、心の叫びが。 この時代、オクラホマやそのまわりの地域では、土壌の疲弊と長期間にわたる干ばつのせいで砂嵐が吹き荒れ、人々の暮らしを脅かしていた。畑や道路は砂に厚く覆われ、作物は育たない。多くの若者や家族がこの地を捨て、緑豊かなカリフォルニアを目ざして去っていったという。砂は、家の中に、そして人々の心の中にまで入りこんでくるのだった……。 そして、ある日、一家を悲惨な事故が見舞う。ビリー・ジョーは体にも心にも深い傷を負い、父親との間には深い溝が生まれてしまった。この傷が癒える日はやってくるのだろうか。この土地に緑の畑が戻る日は、やってくるのだろうか。 ビリー・ジョーの淡々とした言葉は、心にストレートに突きささってくる。時に生々しすぎるほどの描写。風の音が聞こえ、砂混じりのパンの味がし、肌には砂塵がからみついてくるようだ。また、ビリー・ジョーを包む閉塞感も、ひしひしと伝わってくる。希望も喜びも失ってしまった生活、窒息しそうな毎日……。家族への愛と責任感のために田舎町から出ていけず、息のつまる生活を送る青年を描いた映画「ギルバート・グレイプ」のことが思い出された。背負うものこそ違え、今の時代にもこういう思いを抱く若者は多いのではないか。 詩人の伊藤比呂美さん訳で、邦訳が出ると聞いた。心の叫びが、どんな言葉で表わされるのだろう。とても楽しみだ。 (植村わらび)
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