やまねこ翻訳クラブ 資料室
関口英子さんインタビュー
ロングバージョン
『月刊児童文学翻訳』2012年11月号より一部転載
今回ご登場いただいたのは、イタリア語翻訳家、関口英子さん。翻訳に対する姿勢やイタリア児童文学への思いなど、盛りだくさんのお話をうかがいました。 ご多忙な中、快くインタビューをお受けくださった関口さんに、心から感謝いたします。 |
【関口 英子(せきぐち えいこ)さん】 1966年、埼玉県生まれ。大阪外国語大学(現・大阪大学)外国語学部イタリア語学科卒。小説、児童書、新聞・雑誌記事、映画字幕など、さまざまな分野の翻訳を手がける。主な訳書に『古代ローマ人の24時間 よみがえる帝都ローマの民衆生活』(アルベルト・アンジェラ作/河出書房新社)、『兵士のハーモニカ ロダーリ童話集』(ジャンニ・ロダーリ作/岩波書店)などがある。多摩美術大学非常勤講師。2004年度より公益財団法人日伊協会で翻訳講座を担当。また、いたばし国際絵本翻訳大賞イタリア語部門の審査員を務めている。 |
『兵士のハーモニカ ロダーリ童話集』 |
▼〈あとがきのあとがき〉「ロダーリの言葉遊びと、言い間違いの魅力」関口英子さんに聞く (カフェ光文社古典新訳文庫 Blog) http://www.kotensinyaku.jp/blog/archives/2011/11/post-126.html ▼公益財団法人日伊協会(「翻訳への第一歩――児童書を読む&訳す」ほか計3講座を担当) http://www.aigtokyo.or.jp/ ▽関口 英子さん訳書リスト(やまねこ翻訳クラブ資料室内) http://www.yamaneko.org/bookdb/int/ls/esekiguc.htm ▽ジャンニ・ロダーリ作品リスト(やまねこ翻訳クラブ資料室内) http://www.yamaneko.org/bookdb/author/r/grodari.htm ▽ビアンカ・ピッツォルノについて(月刊児童文学翻訳2011年11月号) http://www.yamaneko.org/mgzn/dtp/2011/11.htm#kikaku |
Q★
大学でイタリア語を専攻されたきっかけを教えてください。 |
A☆
語学を勉強したいとは思っていたのですが、何語にするかまでは決めていませんでした。どこでも勉強できる英語やフランス語やドイツ語ではない言語がよかったというだけで、イタリアにあこがれてとか、具体的な作家に興味があってというようなことはありませんでした。すべては入学してからです。 |
Q★
翻訳家になろうと思われたのはいつごろでしょうか。 |
A☆
それは意外に早くて、高校生のときでした。人と話すのが苦手だったのでひとりでできる仕事がいいと思っていて、語学を活かすとすると、翻訳家になるしかありません(笑)。 |
Q★
翻訳の勉強はどのようにされましたか? |
A☆
翻訳学校に通ったことはないし、大学以外のところでお金を出して勉強したことはありません。このあいだ、大学時代の卒論の資料が出てきて、これが膨大な量でした。大学3年で休学して、1年間イタリアに行って卒論の資料集めをしたのですが、新聞・雑誌の記事や本など、かなりの量を集めていたのです。質問できるイタリア人が身近にいたので、わからないところがあってもそのままにせずに、きちんと理解するようにしていました。翻訳の勉強を意識していたわけではないけれど、翻訳に不可欠な読解力はそのときについたのではないかと思います。 |
Q★
初めての訳書『イタリアの外国人労働者』(マリオ・フォルトゥナート、サラーハ・メスナーニ作/明石書店)は、どのようないきさつで出版されたのでしょうか? |
A☆
実はあの本も卒論の資料として集めた本のひとつでした。イタリア人の小説家とチュニジア人が書いた手記で、わたしがイタリアにいたとき、書店に並んでいたのです。読んでみたら、一般に知られているのとはまったく違うイタリアの姿が描かれていて面白かったので、日本に紹介できたらなと思いました。日本語に訳して、何人かに読んでもらったところ、明石書店を紹介してくれた方がいて、形になりました。 その後は、子どもが生まれ、絵本なら子どもと楽しみながら翻訳できると思って、買い集めました。初めに絵本を持ち込んだところでは断られたのですが、ほかの出版社を紹介していただくことができ、何冊か訳して見てもらったら、そのうちの1冊、『あわてんぼうのめんどり』(アレッシア・ガリッリ文/パトリツィア・ラ・ポルタ絵/フレーベル館)を気に入っていただけました。 |
Q★
持ち込みは今でもされていますか? |
A☆ 常にしています。断られる場合もあれば、形になることもあります。これはダメと言われても、あと3社くらいは持ち込みます。ずっと昔、何社かに断られた本を、そういえばこういうものもありますよと別の編集者に見てもらったら、気に入ってもらえたこともあるので、わからないものですね。 |
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Q★
光文社古典新訳文庫で何冊か訳されていらっしゃいますね。最初に訳された『猫とともに去りぬ』(ジャンニ・ロダーリ作)は、関口さんが提案されたのですか。 |
A☆
古典新訳文庫で何か訳しませんか、と編集の方が声をかけてくださったとき、わたしがやりたいものは、たぶん、古典新訳文庫のラインアップからずれてしまうと思うのですが、とお伝えしました。かまいませんとおっしゃるので、「ロダーリをやりたいんです」と言ったら、ああ、いいですねと思いがけず賛成していただけました。 知名度という意味でも、ロダーリは古典新訳文庫の創刊時に選ばれたほかの作品のなかでは異質でした。でも、純粋な児童書として邦訳していたら、あれほど多くの人には読んでもらえなかったのではないでしょうか。あのとき、あのような形で出していただいて、作品にとっても私にとっても、とても幸せなことでした。 |
Q★
岩波少年文庫で『チポリーノの冒険』(ロダーリ作)などの新訳をいくつか出されているのは、どのような経緯だったのでしょうか。 |
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A☆
以前、岩波書店の編集の方にわたしが翻訳したい児童書を見ていただいていたのですが、その方から、長いあいだ絶版になっていた『マルコヴァルドさんの四季』(イタロ・カルヴィーノ作)の復刻版を作りたいという相談を受け、いろいろやりとりをしているうちに、せっかくだから翻訳もお願いしますということになりました。 |
Q★
『マルコヴァルドさんの四季』(原書初版1963年)は、今読んでも全然古さを感じません。 |
A☆古くない。すごいですよね。ロダーリも全然古くない。すごいなって思います。目の付けどころも面白いですよね。ただ、いわゆる楽しい冒険物語ではないので、子どもの読者がどんな気持ちで読んでいるのか、すごく気になります。 |
Q★
旧訳は読まれましたか? |
A☆
訳す直前は影響されてしまうので読みません。訳し終わってから読むことにしています。そうすれば、同じ文章になっていても、偶然なんだからいいじゃないって、開き直れますし。 |
Q★
最近、古典的な作品を新訳で出すケースが増えているようですね。 |
A☆
たとえば、安藤美紀夫さんは1950〜80年代にイタリアの児童文学をたくさん訳されていて、その業績は本当に素晴らしいと思います。当時は資料があまりなかったし、イタリアと日本を行き来する人も多くなかったので、イタリア語の作品が日本語になるというだけでもすごくて、長く読み継がれる作品に仕上げられたのは偉業だったと思います。でも、何十年もたって、一般的な知識としての語学力もアップして、辞書も豊富になり、ネットでどんどん情報を取り入れられるようになっています。翻訳に求められる精度のようなものもおのずと高くなっているので、当時の翻訳がいくら素晴らしくても、手を加える余地はあるのではないでしょうか。必ず手を加えなければいけないというわけではないのですが、手を加えることによって、より広く読者に読んでもらえるようになるのであれば、新訳すべきなのではないかなと思います。 ロダーリも、昔読んだとか、保育園で「チポリーノ」の歌を歌ったという人たちはいましたが、今の子どもたちは全然知りませんでした。若い人でも読んだことがない人が多かったのですが、古典新訳文庫に入れてもらえたおかげで、多くの人にその魅力を知ってもらうことができました。もちろん、必ずしも新訳のほうがいいものになるとは限りませんが、広く届けられるようになるという点では、意味のあることだと思っています。 |
Q★
日本で紹介されるイタリアの児童文学はあまり多くない印象がありますが。 |
A☆
日本に紹介されていない、いい作品がたくさんありますよ。結局のところ、日本で求められている作品とイタリアにある作品とそれを仲介する人たちが、うまくマッチングしていないだけなのでは。岩波書店をはじめ、1950〜80年代にはイタリアの児童書が体系的に翻訳されていました。当時は海外の児童文学を積極的に紹介しようという機運があり、イタリアの児童文学を全般的に把握している翻訳家にも恵まれました。とくに安藤さんはかなりの数の本を翻訳されていて、本当にいいものから順番に訳されたのだと思います。あの時代のイタリアの児童文学の全体像を把握されていたのですね。 安藤さんがお仕事されなくなってから、イタリアの児童文学を専門に訳そうという翻訳者があまり出てきていないのかもしれません。訳している方はいても散発的で、日本での紹介のされ方には穴があるように思います。 今はどういう状況かというと、大きなブックフェアでイタリアの出版社がシリーズものを売ろうと力を入れているので、日本側もそれに踊らされている感じです。イタリアで良質の児童書が書かれている状況は、ロダーリの時代からずっと変わっていません。ただ、それを紹介する側と出版社のマッチングに問題があるのだと思います。人材がいないとは思いませんし、やりたいと思っている人もたくさんいます。そういう人たちの話を聞く余裕のある編集者がいないのかもしれないし、やりたいと思っている人たちの力が足りないのかもしれません。 英語は人材が豊富ですから、児童書を専門にする児童文学翻訳家という存在が成り立っていますが、イタリア語の場合、イタリア児童文学翻訳家と呼べる人は安藤美紀夫さんと長野徹さんくらいでしょうか。そういう意味では人材不足なのかもしれません。翻訳すべき作品があっても、それを拾える人間と、拾ったものをキャッチしてくれる編集者がいなければなりませんから。 ビアンカ・ピッツォルノという、ロダーリの下の世代の、2012年国際アンデルセン賞の最終候補になった作家がいますが、ピッツォルノの代表的な作品は、日本ではまだ訳されていません。その周辺の面白い小品が何冊か訳されていますが、本当に核となる作品はまだ紹介されていないのです。紹介しようとする人間はいるし、実際に何人かチャレンジしていると思います。それが形になっていないということは、キャッチボールが成立していないということです。翻訳したいという人たちの声を広く伝えることのできるシステムができればいいと思うのですが。 |
Q★
今後のお仕事の予定を教えてください。 |
A☆
児童文学という枠の中で考えると、幸い何冊か訳書が出て、少しずつ好きな仕事ができるようになってきたので、さっき言ったような穴を埋められるような仕事ができたらいいなと思っています。児童書を通じてイタリア社会というものを日本に紹介したいという気持ちもあるのですが、翻訳ものの児童書の第一の役割というのはやはり、子どもを楽しませながら別の価値観を育むことにあると思うので、社会問題ということにこだわっていると、本来の楽しみが見えなくなってしまう可能性があります。それが、ここ10年くらい児童書を紹介しようと試み、企画がボツになり、でも、やっぱりやりたいよな、これ……と思いながら学んだことかもしれません。 行き着いたところが、やはりロングセラー。10〜20年前の作品で、イタリアではロングセラーとして読み継がれているようなものを紹介する機会があれば。すでに日本で紹介されている作家でも、雰囲気の異なる作品など、別の面を紹介できればいいなと思っています。 もうひとつ、気になっていることがあって……。山岡洋一さんという翻訳家が「翻訳通信」というメールマガジンを出されていたのですが、震災のあと、「一つの文明の終わりと翻訳者の立場」という文章の中で、翻訳者は「古今東西の優れた文献のなかから、いま、社会が必要としているものを選んで翻訳することができるのである。これは翻訳者の特権であり、この特権を活かさない手はない」と書かれていました。その数か月後に亡くなられてしまうのですが……。 震災直後、わたしはいまなにをすべきなのかと、気ばかりが焦って翻訳が手につきませんでした。こんなことをしていていいのかな、という気持ちがありました。でも、あ、そうか、わたしにもやれることはきっとあるんだって、山岡さんの文章を読んだときに思えたのです。これぞという作品はそう簡単には見つからないと思いますが、以来、仕事と向き合うときには、いつも彼のその言葉が念頭にあります。 |
Q★
翻訳家をめざす読者へ――特に、英語以外の翻訳を志す人へのメッセージをお願いします。 |
A☆
翻訳家として一本立ちするのはきついということ、やはり厳しい世界だということは頭に置いたうえで、あまりひとつの作品や作家にこだわらないほうがいいのではないかなと思います。こだわらないのとあきらめるのは全然違います。 長く翻訳をやりたい、訳書を何冊も出せる状況にいつか自分を持っていきたいと思うのであれば、ひとつのものに固執せずに、広く目配りできるといいのでは。この本を訳したいという気持ちがあって、翻訳家になろうと思うのでしょうが、その作品が必ずしも、そのとき、その時代、その出版社に合うとは限りません。自分の宝のような作品が心の中にあるのはいいけれど、絶対にこれ!というふうに思わないほうがいい。チャンスはどこに転がっているかわかりません。これをやるのだという思い込みが強過ぎると、別のところにチャンスが転がっていても、気付かない可能性が高くなってしまうのではないかと思います。そういう意味で、ひとつのものにこだわらずに、いろいろとチャレンジしてみてもいいのではないでしょうか。 それと同時に、実力はつけないといけません。形にならなくても、あきらめずに何冊も訳してみる。実際、作品をいくつか通して訳してみないと、見えないものがあります。自分で訳して、できたらそれを誰かに読んでもらう。人に読んでもらうことによって、出版に耐えうるものなのかどうか、おのずとわかってきます。できることならば、その本に自分の文体が合っているかどうかという意見を求めるためにも、出版関係の仕事をしているような人に読んでもらうのが理想的だと思います。 |
【安藤美紀夫(あんどう みきお)さんについて】 1930年生まれ。高校教員として勤務する傍ら、児童文学の創作とイタリア児童文学の翻訳に取り組む。『マルコヴァルドさんの四季』(イタロ・カルヴィーノ作/岩波書店)、『ジップくん宇宙へとびだす』(ジャンニ・ロダーリ作/偕成社)、『黒い海賊』(エミリオ・サルガーリ作/講談社)など訳書多数。1990年没。 |
取材・文:赤塚きょう子 2012-11-15作成 |
※本の表紙は、出版社の許可を得て使用しています
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