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 やまねこ10周年記念「世界の児童文学賞ラリー」レビュー集

全米図書賞児童書部門(アメリカ) レビュー集

The National Book Award for Young People's Literature
 

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最終更新日 2009/07/05 リンクを1点追加   

全米図書賞児童書部門リスト(やまねこ資料室)   全米図書賞児童書部門の概要

このレビュー集について
 10周年記念「世界の児童文学賞ラリー」においてやまねこ会員が個々に書いたレビューを、各児童文学賞ごとにまとめました。メ ールマガジン「月刊児童文学翻訳」「やまねこのおすすめ」などに掲載してきた〈やまねこ公式レビュー〉とは異なる、バラエティーあふれるレビューをお楽しみください。
 なお、レビューは注記のある場合を除き、邦訳の出ている作品については邦訳を参照して、邦訳の出ていない作品については原作を参照して書かれています。


"The River Between Us"『ミシシッピがくれたもの』 * "Joey Pigza Swallowed the Key"『もう、ジョーイったら!1 ぼく、カギをのんじゃった!』 * "The House of the Scorpion"『砂漠の王国とクローンの少年』 * "The Absolutely True Diary of A Part-time Indian" * "Locomotion"  "Each Little Bird That Sings"『空へ、いのちの歌を』 * "Disreputable History of Frankie Landau-Banks" * "Honey, Baby, Sweetheart" * 


以下の受賞作品は、他の賞のレビュー集で既にレビューを公開しています。

2006年F"American Born Chinese"(プリンツ賞) * 1999年F"Speak"『スピーク』(ゴールデン・カイト賞 ) * 1983年"Doctor de Soto"『歯いしゃのチュー先生』 (ニューベリー賞) * 
2008年F"The Underneath"(ニューベリー賞)←追加 * 


2003年全米図書賞児童書部門ファイナリスト

"The River Between Us" (2003) Richard Peck リチャード・ペック
『ミシシッピがくれたもの』 斎藤倫子訳 東京創元社 2006 (邦訳読み物)
 やまねこ公式レビュー 月刊児童文学翻訳2006年7月号

その他の受賞歴 2004年スコット・オデール賞受賞作品


 1916年、15歳の少年である「わたし」は、父の生まれ故郷を、初めて父と訪れた。祖父母と大おじ、大おばが住む町グランドタワー。そこで「わたし」は、父方の祖母から、祖母がまだ15歳の少女だったころの話を聞くことになる。話は、南北戦争まっただなかの当時、北部のほぼ最南端に位置するグランドタワーにやってきた、謎めいたふたりの少女を軸に進む。白人と黒人の差別、そして、黒人の中での、奴隷と自由民という差別。幾重にも重ねられた複雑な差別とともに、家族の中での差別も語られる。そして、最後の最後に、思いも寄らない運命を「わたし」は知ることになるのだった。

 リンカーンが奴隷を解放した戦争、という程度の知識しか持っていなかった南北戦争。だが、その裏には、あまたのその他の戦争と同じように、血気にはやって徴収されていった若者たちを待ち受けていた悲惨な事実や、いつ帰るとも知れぬ息子や夫の帰りを待ちわびる母や妻の悲しみがあったのだ。戦争は、やはり悲劇以外のなにものでもないと、つくづく思う。
 わたしには、主人公の祖母、ティリーが母から投げつけられた言葉が衝撃的だった。「おまえ(ティリー)がいなくてもやっていける。でも、ノア(ティリーの双子の弟)がいなかったら、生きていけない」自分の母親にこんな言葉を投げつけられたら、わたしならどうするだろう? 面と向かって、こんなことを言われたら? 正気を失っているとはいえ、だからこそ、本音を吐いていると解釈できないだろうか。
 また、物語の最後で「わたし」を待ち受けている運命にも驚かされた。このような重いテーマを扱っていながらも、話全体はじめじめせず、読後に前向きな気持ちを持たせてくれるのは、やはりこの話の軸となる少女たちが運命に立ち向かう姿勢のなせるわざだろう。そして、ペックのすばらしい表現力の賜物といえる。

(村上利佳) 2008年12月公開

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1998年全米図書賞児童書部門ファイナリスト

"Joey Pigza Swallowed the Key" (1998) Jack Gantos ジャック・ギャントス
『もう、ジョーイったら!1 ぼく、カギをのんじゃった!』 前沢明枝訳 徳間書店 2007 (邦訳読み物)

その他の受賞歴


 ジョーイ・ピグザは、小学校4年生。朝飲んだ薬が切れてくると「カゲキ」なことばかりしてしまう。先生に向かって「それはあとにしてチョーダイ!」を連発したり、廊下でひたすらくるくるまわってみたり。えんぴつを削っていて自分の指まで削ってしまったことも。自分でもいけないとわかっているのに、どうしても抑えられなくなってしまい、学校では問題児扱いされている。
 家庭では、長い間不在だった母親と入れ替わるように、カゲキな祖母が家を出ていき、ジョーイと母親二人の生活がはじまっていた。二人の心は通いあっていて、この問題に何とか取り組もうとしているが、なかなかうまくいかず、二人で落ち込んでしまうことも多かった。
 しばらくして、タイトルにもなってる「カギをのんじゃう」事件がおこる。もっと面倒を見てもらえるように、ジョーイは1日のうち数時間だけ学内にある特別学級に行くことになった。そこで、さらに別の事件が起こり、ジョーイは学外の特別支援センターに通うことになってしまう。

 ジョーイはわざとおかしなことをやっているのではない。自分でも頑張っているのだけれど、どうにもこうにも抑制がきかないのだ。そんな風にカゲキになっていく時の子どもの内面の動きが、本当によくわかる本だ。同時に、ほめてほしい、いい子になりたい、みんなに迷惑をかけたくない、という気持ちだって人1倍持っていることも、1人称の語りからびんびん伝わってくる。その両面が書かれているのがとても良いと思った。また、まわりの大人――母親、担任の先生、校長先生の行動も、偏ることなく正直に描かれているのにも好感が持てた。

 この本は、ADHDなどの問題を抱えた子(ジョーイがADHDだと断定されているわけではない)のおかれた状況がよくわかり、彼らの気持ちがストレートに伝わってくるということで、アメリカではほとんどの学校図書館におかれているとのこと。特別支援センターで、専門家がジョーイにおこなわれたカウンセリングの内容もとても興味深い。日本でも多くの子どもや大人に読んでほしいと強く思う。
 また、こういった問題を抱えているかどうかに関わらず、どんな子もジョーイのように「いい子になりたい、みんなにほめてもらいたい」という気持ちを持っているということを改めて思い出させてくれ、子どもという存在がさらにいとおしくなってくる。そう、あの『あくたれラルフ』のシリーズを世に送りだしたギャントスだ! 彼の子どもに対するまなざしに改めて感服した。ユーモアの度合いも、ラルフ並みである。
 アメリカでは「ジョーイ」シリーズとして第4巻まで刊行されており、日本でも、同じく徳間書店から第2巻が刊行予定である。

(植村わらび) 2008年12月公開


 クラスの子たちは、ジョーイのことをカゲキに反抗的とか、カゲキに怒るとか、カゲキにへまをするとか、カゲキに明るいとかっていう。いつも考えるより先に動いてしまう小学4年生の男の子、ジョーイは、そんなつもりはないのに、なぜかすぐに問題を起こしてしまうのだ。落ち着きのないジョーイは、これまたカゲキなおばあちゃんと、はちゃめちゃな暮らしをしていたが、幼いころに父親を追いかけて行った母さんが、突然戻ってきた。ジョーイのことをきちんとわかってくれるのは、母さんだけだ。だが、ようやく生活が落ち着いてきたかに思えたある日、ジョーイは、クラスの女の子にはさみでけがをさせてしまう……。

 このジョーイの物語は、「カゲキ」で、ユーモアたっぷりに描かれている。だが、正直読むのはとってもつらかった。ジョーイのきちんとしていようという気持ちとは裏腹に、行動や結果が悪い方悪い方へといってしまうのが、痛くてたまらなかったからだ。ジョーイは、結果的には騒ぎを起こしてしまう問題児かもしれない。だが、もちろん望んでそうやっているのではない。心の中では、いい子になろう、母さんを喜ばせよう、みんなの役に立とうという気持ちでいっぱいなのだ。それなのに、いつだってジョーイの行動は、その思いとはかけはなれた結果を招いてしまう。これでは、ジョーイが、ほんのちょっぴり自分のことをあきらめてしまうのも、無理はない。だが、方法さえつかめれば、ジョーイだってできるのだ。特別支援センターでのカウンセリングや薬などの助けを借りて、ジョーイは自分をコントロールできるようになっていく。いつだってまっすぐで、本当はよい子の彼に、すっかり心をつかまれてしまった。がんばれジョーイ! エールを送らずにはいられない。
 さて、本文には書かれていないが、おそらくジョーイには、ADHD(注意欠陥・多動性障害)という障害がある。落ち着いて行動したいと思っても、脳の機能が邪魔をして、それがうまくいかなかったり、逆に、思いつくことすべてをやってしまって、それが思いもよらないことを引き起こすというのがその症状だ。ジョーイでいえば、答えがわかっているのに、つい先生をからかうようなことを言ってしまったり、鉛筆削り機で指をけずってしまったり、タイトルにあるように、家のカギを飲みこんでしまったりというのが、まさにそれ。こういった障害を持つ子たちは、一見すると悪い子、ふざけている子に見えてしまうので、どうしても叱られたり、責められたりすることが多い。だが、この叱責が良い結果を招くことは、実はひとつもない。どうか、一人でも多くの学校の先生や保護者、そして子どもたちに、この本を読んでほしい。問題を起こしてしまうこの子やあの子も、本当は苦しんでいる。たくさんの「ジョーイ」たちが、あたたかい目で見守ってもらえることを切に願う。

(美馬しょうこ) 2008年12月公開

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2002年全米図書賞児童書部門受賞作品

"The House of the Scorpion" (2002) Nancy Farmer ナンシー・ファーマー
『砂漠の王国とクローンの少年』 小竹由加里訳 DHC 2005(邦訳読み物)

その他の受賞歴
2003年ニューベリー賞オナー作品2003年マイケル・L・プリンツ賞オナー作品


 6歳になるマットは外界から隔離され、アラクラン家の広大なケシ畑の一角にある小屋でシーリアと2人で暮らしていた。ある日小屋の外に子どもたちがやって来た。マットはシーリアと医者以外の人間を見たのはそれが初めてだった。どうしても彼らと友だちになりたくて、外に出ようと窓ガラスを壊して大けがを負ってしまう。屋敷に運ばれけがの手当てを受けたが、その日からマットの生活は一変した。屋敷の人間にクローンと呼ばれ忌み嫌われ、使用人部屋に監禁されて家畜にも劣る扱い受ける。一体、クローンとは? なぜマットは嫌われるのだろうか?

 主人公のマットはクローンである。クローンは牛の腹の中で育てられるので家畜とみなされており、それまで暮らしていた小屋を出たマットは皆に蔑まれ、家畜以下とののしられることもあった。彼のオリジナルであるマテオ・アラクラン氏は麻薬取引で巨万の富を得て、一大帝国を築き上げた。帝国内では、世界中から犯罪者を集めて組織したボディーガードやパトロール隊が目を光らせ、隣国からの違法移民や反逆者を捕らえては脳にコンピュータ・チップを埋め込み、意志のない奴隷人間にしてケシ畑で働かせている。なんとも不気味で歪んだ環境だ。自分の出自に苦しみ悩みながらも、マットがなんとかまともに育ったのは、母親のように愛情を注いでくれるシーリアや、生きる術を教えてくれたタム・リン、好意を示してくれるマリアの存在があったからだろう。
 もう一人、マットを大切に扱う人物がいた。アラクラン氏だ。彼は140歳になってもなお絶大なる支配力を誇り、一度手に入れたものはなんであろうと絶対に手放そうとはしない強欲な人間だ。そんな彼がマットを大切に扱うのには、恐ろしい理由があった。その理由を知ったとき、マットはシーリアたちの助けを借り、隣国へ逃亡する。やれやれ、これで自由になったかと思いきや、外の国もパラダイスではなかった。収容された孤児院では、厳しい思想統制のもと、子どもたちは労働を強いられていた。ここで、マットは初めて真に人間としてひとり立ちをはじめる。大人たちの横暴に苦しめられながらも、マットは決してくじけず、他の少年たちとともに苦難に立ち向かっていく。この物語では、これでもかというように人間の負の部分を見せつけられてきただけに、逆境の中で少年たちが見せる誇りや勇気、友情がすばらしく輝いて見えた。
 読者は物語の終わりの方で、アラクラン氏の邪悪さ、欲望の深さを思い知らされることになる。こんな人間は実際にはいやしないと笑い飛ばしたいところだが、簡単にそうは言い切れない現実の世界に思い当たりゾッとした。人間の欲望に際限はないのだろうか? 本当に怖くなる。だが、マットはアラクラン氏のコピー、のはずだ。だから生物学的にだけではなく、性格にも共通するところがあるようだ。といっても根っこのところで大きく違っている。きっと、人はだれしも、マットになる要素もアラクラン氏になる要素も持ち合わせているのだろう。どんな人間になるかは各人の選択による。そう思えば希望も湧いてくる。

(吉崎泰世) 2008年12月公開

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2007年全米図書賞児童書部門受賞作品

"The Absolutely True Diary of A Part-time Indian" (2007) Sherman Alexie 作 (未訳読み物)

その他の受賞歴
2008年ボストングローブ・ホーンブック賞受賞作品


『アーノルド・スピリット・ジュニアの本音日記』(仮題)

 主人公のアーノルド・スピリット・ジュニアはスポーカン族の少年だ。政府指定の居留地で暮らしているが、そこでは大半の人が問題を抱えている。失業、貧困、アルコール中毒……。アーノルドのうちも例外ではない。父親はアルコールに溺れているし、姉は地下室に引きこもっている。そして貧乏だ。未来は暗い。そんなある日アーノルドは、学校の先生との会話をきっかけに、隣り町にある高校へ転校することを決めた。そこは白人の子どもばかりが通っている高校だ。居留地の貧困から抜け出すには、白人の世界に単身乗り込むしかない。居留地の住民のなかには、そんなアーノルドを裏切り者とみなす人たちもいた。親友だったロウディもアーノルドを許さない。一方転校先でも、アーノルドはよそ者として孤独を強いられるのだが……。

 スポーカン族であることの誇りと、居留地で貧困のうちに一生を終えるなんて嫌だという思い。白人とインディアンの狭間で悩むアーノルドが、新しい環境で揉まれ、成長していくさまに、胸がいっぱいになった。新しい学校で能力を開花させ、自信を深め、自身の魅力で友人を増やしていくアーノルド。そこには、環境はどうであれ自分の未来は自分で作れるんだ、という作者からのポジティブなメッセージが込められているように思う。
 インディアンたちが置かれている状況は本当に厳しい。そしてそれが白人から受けてきた仕打ちの果てだという事実と、未だ存在する人種差別。問題の根深さに愕然とさせられる。けれどもアーノルドの日記が暗く重たいかといえば、全くそんなことはない。漫画が得意なアーノルドによるイラストを見れば、思わず笑いがもれるし、その語りには、14歳の少年らしさ全開の明るさがある。笑って泣いて考えさせられる、中身の濃いこの一冊は、作者の半自伝的小説でもある。

(佐藤淑子) 2008年12月公開

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2003年全米図書賞児童書部門ファイナリスト

"Locomotion" (2003) Jacqueline Woodson ジャクリーン・ウッドソン作(未訳読み物)

その他の受賞歴
2003年ボストングローブ・ホーンブック賞(フィクションと詩部門)オナー作品


『ロコモーション』(仮題)

 ロニーが7歳のとき、両親が火事で死んだ。そして、たったひとりの妹とは別々の家に引き取られた。今、ロニーは11歳。学校でマーカス先生からすすめられ、詩を書き始めた。あの火事のこと、里親のエドナさんのこと、愛しい妹のこと、友達のこと、そして死んだ両親のこと……。

 ロニーの気持ちがしみじみと伝わってきて、実在する男の子の詩を読んでいる気分になった。両親を失った悲しみや寂しさ、離れ離れになってしまった妹への想いなどが、選ばれた言葉から滲み出ている 。けれどロニーの詩からは、決して悲惨な毎日を送っているわけではないこともまた、きちんと伝わってくる。エドナさんのことを書いた詩を読んで、ちゃんとロニーのことを考えてくれている人がいるんだなと安心したり、気になる女の子のことを書いた詩を読んで、初恋の甘酸っぱさを感じたり。薄い本だが、そのなかにはいろいろな気持ちがぎっしりと詰まっている。
 尚、作者のホームページによれば、本書の続編にあたる" Peace, Locomotion "という本が、来春刊行予定とのこと、楽しみである。

(佐藤淑子) 2008年12月公開

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2005年全米図書賞児童書部門ファイナリスト

"Each Little Bird That Sings" (2005) Deborah Wiles デボラ・ワイルズ作 追加
『空へ、いのちの歌を』 よねむら知子訳 ポプラ社 2008.10

その他の受賞歴
2005年 ゴールデン・カイト賞フィクション部門オナーブック


 明るくユーモアあふれ、元気いっぱいの女の子コンフォート。彼女を悩ませることその1、親友のデクラレーションと話す時間がない。その2、親族で集まるたびに事件を起こす従兄弟のピーチが、またやってくる。その3、話を静かに聴いてくれたおじさんが亡くなってしまった。おじさんとの温かい思い出で胸がいっぱいだ。
10歳のコンフォート・スノーバーガーの家は、地域の葬儀を一手に引き受ける葬儀社だ。親族でありながら、一家総出でおじさんの葬儀を取り仕切る。人々の人生最後の日とともにある日々なのだ。けれども彼女によって語られるのは、去って行く人への悲しみではなく、その人が過ごした人生への深い尊敬と愛情だ。

 こんなに大きな家族経営の葬儀社がある! そこで育った子が主人公! しかも主人公は生き生きとした元気の固まりといった女の子だ。美しく賢く愛情あふれる母親に、誠実で優しい父親。同じく誠実で妹おもいの兄に、まだ何にも分かってないはずなのに、ポイントを外さず登場してかかわってくる妹。「死」にまとわりつく「忌避」のイメージはここには少しもない。逝ってしまった人と、その人生を心温かく見つめる人々ばかりだ。
 自称葬儀レポーター兼レシピ試食係りのコンフォートによる記事も傑作。町の人々が持ち寄る一皿レシピは、一度は食べてみたくなる。デクラレーションとの関係を修復するために交わされる手紙(メモ?)も効果満点で、彼女たちの微妙な心模様を見せてくれる。葬儀社が舞台なのに最初から最後まで、とてもとても明るくて、生きていることの喜びが響いてくる一冊だ。

(尾被ほっぽ) 2009年4月公開

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2008年全米図書賞児童書部門ファイナリスト

"The Disreputable History of Frankie Landau-Banks" (2008) E. Lockhart 作 (未訳読み物) 追加

その他の受賞歴  2009年マイケル・L・プリンツ賞オナーブック


 アラバスター・プレパラトリー・アカデミーという、代々裕福な家庭が子どもを通わせる寄宿学校。主人公のフランキーは夏休みの間に見違えるほど女性らしい外見へと成長 して、2年生になった。ハンサムな4年生のマシューとつきあいはじめ、図書館でデートをしたり、マシューを中心とした最上級生のグループに混じってカフェテリアで夕食を食べたりと、幸せいっぱい のフランキー。でも、じょじょに違和感をおぼえはじめる――グループの上級生たちにとって、私は 「マシューのガールフレンド」という存在でしかない。 それに、マシューは彼の世界に積極的に招き入れてくれるけど、私の生活にはまったく関心を示そうとしない。「かわいい、好きだ」と言ってくれるのはうれしい けれど、命令されるのはいやだ、と。
 やがて、マシューが、親友アルファからの呼び出しを受けてデートを途中で切り上げることが多くなる。いぶかしく思ったフランキーは、彼らの秘密を探し当てて……。

 家ではバニーちゃんと呼ばれ子ども扱いされているフランキーだが、実は頭も良く、自分の考えをしっかり持っている。外見とは裏腹に、気のきいた返事をかえして マシューを笑わせることに満足するような女の子だ。そんなフランキーが、選ばれた男子生徒だけが入れる秘密クラブの存在を知り、行動をおこし、その決着がつくまで の経緯を、「フランキーの数々のいたずらと冒険の歴史」としてひもといていくという構成の本。女の子が決して入れないクラブ、そして何があっても壊れない男の子の結束に、フランキーが頭を使って果敢に挑んでいく。その姿を応援しながらも、同時に、どうにもならないことに向かっていく切なさも感じてしまった。
 本作でも、また2004年ファイナリストの "Honey, Baby, Sweetheart" でも、高校生の男女が付き合っていくなかで、女の子が「誰かの彼女」ではなく自分自身になろうとする姿が描かれていたのが印象的。安易な恋愛物では、全米図書賞児童書部門の対象にはならないということか。 作者には是非とも続編を書いてもらって、等身大の自分を理解してくれる仲間とボーイフレンドをみつけて活躍するフランキーの姿を見せてほしい。もしかすると、 フランキーの将来は、女性大統領かもしれない!

(植村わらび) 2009年4月公開

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 2004年全米図書賞児童書部門ファイナリスト

"Honey, Baby, Sweetheart"(2004) by Deb Caletti  (未訳読み物)  追加

その他の受賞歴


 田舎町に住む、おとなしく慎重派のルビーが付き合いだしたのは、金持ちの息子で謎の多いトラヴィスだった。彼のためななら何でもできる、と思うルビー。ある日、湖で泳いでいる時に、トラヴィスに長い間水の中にひきずりこまれ、ひどい恐怖を味わう。「わたしが嫌がっていることに気がつかなかっただけ」と良い方に解釈するものの、危険なことを好むトラヴィスの行動はどんどんエスカレートしていく。もう会わない方が良いと思うルビーだったが、結局わずかな希望を抱いて会いにいってしまうのだった。
 一方、ルビーの父親は、ルビーの弟が生まれた後、自分の夢を捨てきれなくなり家を出ていた。今は隣州のアミューズメントパークでショーの舞台に立ち、時折家に姿を現すだけ。父が帰ってくると、母はまるで別人のようにうきうきと料理を作って食べさせる。父が家にいない間は、空想の中の父をひたすら美化しているだけだ。でも、この夏、父は新しい恋人との間に赤んぼうが生まれたことを母に告げた。

 ルビーの16歳のひと夏を描いたYA作品。友達に嘘をついてまでトラヴィスに会おうとするルビーの気持ちがよく表現されている。しかしこの作品は、「青春恋愛もの」だけでは片付けられない魅力で満載だ。ルビー自身によるユーモアあふれる語り口、独特の視点や皮肉や的を得た解釈などで色どられており、時ににんまりと、時に大笑いをさせられる。その雰囲気はポリー・ホーヴァートの『みんなワッフルにのせて』のよう。また、多彩な登場人物も魅了的。図書館員の母が開く読書会に集まる「キャセロール・クイーンズ」(男性1名を含む)の年配の面々のキャラクターは強烈。人生の先輩たちが若いルビーのまわりで大騒ぎしながら、肝心な場面で大切なことを伝える。こちらは、同じくホーヴァートの『ブルーベリー・ソースの季節』 のおばあちゃん姉妹の味わいだ。
 物語の後半には、読書会で読んだ本から発生する大冒険が待ち受けている。母と弟、キャセロール・クイーンズと挑んだその冒険の中で、ルビーはまわりの人々や自分自身を見つめる機会に恵まれ、母との信頼関係を深めていく。「誰かの Honey や Baby や Sweetheart だなんて、まっぴらごめんだわ」という、ミズ・ジューン(キャセロール・クイーンズのひとり)の言葉が、ルビーの心に響く。相手の心の中にうつった自分ではなく、本当の自分でいなくちゃ。自分の足で冒険に踏み出すのよ!

(植村わらび) 2009年4月公開

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 全米図書賞 児童書部門リスト(やまねこ資料室)   全米図書賞児童書部門の概要

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